人生は自分の課題|エッセイ

僕は1970年5月1日(金)に生まれました。
現在は50歳です。

この地球で、
50年間も生きて来たんですね。

僕の寿命は解りません。
健康な方よりは短いでしょう。

仮に、僕の余命が、
後10年だったとしたら?

僕の人生は「60年」という事です。

僕は、
人生の答えを持っています。

・この世界が誕生した理由
・人類が誕生した理由
・人間が死ななければならない理由
・死んだあとの世界がある理由


こういった、
人生の問題の答えを持っています。

ただ、
僕が持っている答えが、
「正解」だとは限りません。

人には人の主観があって、
人の人生感も十人十色ですからね。

だから、
僕は僕の人生感を押し付けたくないです。

しかし僕の人生感を、
「にじみ出させたい」と思っています。

どうやって?
にじみ出すかというと、

「僕が笑顔で過ごすこと」だと思います。

僕の笑顔の向こうに、
僕の人生感がにじみ出て来ると思うんです。

人には人の主観があります。
十人十色です。

人生感が違って当然です。

人生というのは、
個々に与えられた「課題」だと思っています。

自分の人生を、
どのように使うのか?

それが、その人の課題だと思うんです。

語弊があるかも知れませんが、

・他人が辛い目に合っていようと、
・悲しい目に合っていようと、
・苦しい目に合っていようと、


僕には関係ない事。

それは、
その人が必要とするもので、
僕が関与してはいけない事かも知れません。

辛い目に合わないと、
理解出来ない事も多々あります。

悲しい目に合って、
初めて人に優しく出来たりもします。

苦しい目に合って、
初めて他人に感謝が出来る事が多いです。


だからといって、
車にはねられた人を、
そのまま見殺しにするような事は、
あってはならないです。

あくまでも、
「道徳の範囲」での話です。
*揚げ足をとらないでね。

だから、
もし、僕の知り合いが不幸な死に方をしても、
僕は動じたくないです。

それは、
その人の人生だからです。

その人の課題だったからです。

またまた、
語弊のある言い方になりますが、

他人の死に方なんて、
僕には何の関係もないんです。

他人が不幸な死に方をしても、
それは僕の責任ではないんです。

それは、
そういった人生を歩んできた、
その人の責任なんです。

その人が、自分の、
人生の課題と向きあって、
人生を満喫しているなら?

何ら問題がないはずですからね。


例え、不慮の事故で亡くなったとしても、
自分の人生感を持って、
人生の答えを持って生きていたなら?

何ら、悔いはないはずです。


僕は、日に日に、
人生に「悔い」が無くなって来ました。

やり残したことも無くなって来て、
やりたい事も、やり尽くして来た感じです。

今、この世を去っても、
悔いという悔いがありません。

それは、
「断捨離」をやったからでしょうね。

ただ、心の中には、
1つだけ捨てきれないものが、
あるようですが。

慢性腎不全という病気になって、
現在に至るまでの、

「5年間の記憶」

これは、まだ、
心の片隅に捨てきれずに残っているようです。

何だろうね、
この「5年間の記憶」はね、

・人生で一番、辛い時でもあったし
・人生で一番、苦しい時でもあったし、
・人生で一番、悲しい時であったし、
・人生で一番、人を憎んだ時であったし、


・人生で一番、人を愛した時でした。

捨てようとすると、
この5年間の記憶に意識が向くので、
そのまま放置します。

そして、
明るい未来を見据えます。

例えば、
小学校の頃の「遠足」です。

遠足の日が決まると、
その日から遠足が楽しみで仕方がないです。

いつも、いつも、
遠足の事ばかり考えます。

そういう風に、
何か楽しい人生の目標を持って、
ワクワクしながら生きて行きたいです。

子供のように素直な気持ちで、
喜んで毎日を過ごしたいです。


IMG_2344.JPG


↓↓↓ ポチっとお願いします♪


HSP (Highly Sensitive Person)ランキング