生きて行く希望を失った人に、かける言葉は?

僕は22歳の時に、
イエス・キリストを救い主だと信じました。

「クリスチャン」という呼ばれ方は、
少し抵抗があります。
気恥ずかしいですね。

僕が、なぜ?
イエス・キリストを救い主だと信じたのか?

それは、
人生に絶望していて、
生きて行く希望がなかったからです。

20歳の時に、
オートバイで事故を起こして、
脊髄を損傷し、
下半身の自由を失いました。

歩けない体になって、
車椅子を使って生活をする事になりました。

大阪府で事故を起こし、
大阪府の病院で入院していました。

骨折した背骨が落ち着いて来て、
地元の奈良県の病院へ転院しました。

地元の病院で、
副院長から告知されました。

「君は歩けない体です。」
「今後、車椅子で生活をする事になる。」
「しっかりリハビリをして下さい。」


このような、
何だか叱責されるような感じで、
副院長から言われました。

それは、
副院長の優しさだったと思います。

それまで、
僕は自分のケガの状態を、
誰からも教えて貰っていなかったんです。

転院して、初めて、
自分が歩けない体なんだと知ったんです。

大阪府の病院で入院していた頃、
同棲していた彼女や、
僕の家族、親戚、友人、
みんな僕が歩けない体だという事を知っていました。

しかし、
誰も、僕に事実を教えてくれませんでした。

当時の僕は、
20か所ほど骨折していて、
肺がつぶれていて、ボロボロでした。

やはり、
下半身が動かなくてね。

でも、そのうち、
足が動くようになると思っていました。

ちなみに、
この場所で事故を起こしました。
黄色い矢印の先にある、
コンクリートの壁に激突しました。
100キロほどのスピードで。

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僕は「走り屋」といって、
この峠道で公道レースをやっていました。

乗っていたバイクが、
NSR250R SP でした。

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通常、
僕はこの左コーナーを、
4速ハーフスロットルで曲がっていました。

100キロ以上で曲がるコーナーです。

100キロほどのスピードで、
右側の壁に激突したんです。

事故の際、
ヘルメットが陥没するくらい、
頭を強打していたので、
事故当時の記憶がありません。

僕は、歩けるようになったら、
バイクには乗るつもりでしたが、

バイクでの夢も、
ほぼ達成していたので、

同棲していた彼女を、
幸せにしようと考えていました。

まさか、
僕が歩けない体になっているだなんて、
思ってもいませんでしたからね。

そして、
転院して、
「歩けない体」だと知ったんです。

まあ、でもね、
うすうすは感じていました。

彼女の様子や、
家族の様子が変でしたしね。

いつまで経っても、
足が動きませんでしたしね。

ひょっとしたら?
「俺、歩けないのかな?」
そう感じてはいました。

副院長から、
歩けない体だと言われ、

副院長の言い方が、
少し乱暴に聞こえたので、

僕は歩けない体ということよりも、
副院長の言い方に腹を立てました。

そして、
「歩いてやる!」
と意気込んだんです。

副院長の言い方が、
僕の怒りの感情を起こしてくれて、
僕は悲しむどころか、
腹を立てて怒ったんです。

「なにクソ!」


と思えたんです。

それは、
副院長の「優しさ」だったんです。

当時の僕は、
コルセットが外れたら、
副院長を、
どつき回してやろうと思っていました。

しかし、
今となっては、

副院長が、
僕のために、
ああいう言い方をしてくれたのだと。

副院長の優しさを理解出来るんです。

人に勇気を与えるために、
あえて、
憎まれる事をする人がいる。

とても勇気がいることです。

だからこそ、
それだけの知識と経験があるから、
副院長という肩書を得れたのでしょう。

僕は、歩けない体と知って、
いえ、再確認して、
途方に暮れました。

先の事が、
イメージ出来ませんでした。

歩けない体なんて、
想像した事もなかったし、

車椅子で生活をするといっても、
彼女と同棲していたアパートは、
2階建ての2階部分にあるから家にも帰れない。

そして、
僕が歩けない体だと知って以来、
彼女も、家族も、親戚も、友達も、
僕との接し方が変わりました。

みんな、
僕を見て絶望していました。

今思うとね、
僕は、みんなが僕を見る、
「絶望の眼差し」で、

「僕自身も絶望してしまった。」

そのように思います。

僕なりに、
歩けない体になったけれど、
何らかの「糸口」を探していました。

しかし、
僕にやる気があっても、
僕の周りの人達が「絶望」していたんです。

彼女も絶望していました。

彼女も、
彼女の身内から、
僕と別れるように言われていたと思います。

「車イスの人とやっていけるの?」

そう、言われていたでしょうね。

そういった、
周りの人達の影響で、
僕は苦しかたです。

周りの人達から、

「かわいそうに」
「あの人は終わった」


そのように思われるのが、
僕には屈辱的でした。

イライラしましたね。

そんな時に、
僕の知り合いのお姉さんが、
入院していた病院の看護師をしていました。

その看護師さんだけは、
僕に対して普通でした。

というか、
僕を憐れんでいないんです。

周りの人達は、
僕が歩けない体なのを見て、
「かわいそうに・・・」
という目で見るのですが、

その看護師さんだけは、
いつも笑顔なんです。

いつも普通なんです。

いえ、
輝いていましたね。

その看護師さんに惹かれました。

あの人が持っている物を知りたかったんです。

あの人の、
輝きは何なんだろう?って。

そして、
解ったんです。

看護師さんは、
クリスチャンだったんです。

イエス・キリストを、
救い主だと信じる人だったんです。

それがきっかけで、
僕は教会堂へ行き、
聖書に書かれている事を学んだんです。

2年間、
聖書を学んで、
そして、
イエス・キリストを救い主だと信じました。

現在、僕は50歳です。

人生に絶望するような事が、
何度もありました。

しかしね、

よくよく考えるとね、
僕は1度も、
人生に絶望する事がありませんでした。

悔しくて、
イライラした事はありましたが、
絶望したことが無いんです。

いえいえ、
僕が歩けない体になって、
絶望したのは、
彼女であったり、
家族であったりしただけで、

僕は絶望なんてしていなかったんです。

周りの人達が絶望してしまって、
そういう空気を発していて、

その空気に包まれて、
僕自身が苦しくなってしまっただけなんです。

言い換えるとね、
歩けない体になっても、

「車椅子を使えばどこへでも行けるじゃん♪」

こういう発想をしていれば、

「かわいそうに」と思う必要はないんです。

周りの人達が、
前向きな発想でいれば、
大ケガをした人は、
そんなに悲しむ必要がなくなるんです。

いえいえ、
大ケガをした人を、
悲しい思いにさせるのは、

「周りの人達」かも知れませんよね。

周りの人達が、
可愛そうな目で見るから、
相手が、

「私って、かわいそうなんだ・・・」

と催眠術にかけられてしまうんです。

僕はメダカを飼っています。

メダカ達の中には、
体が不自由なメダカがいます。

他のメダカ達は、
その体が不自由なメダカを見ても、
いたって普通です。

人間は、
その体が不自由なメダカを見て、
「かわいそう」と思うんです。

そのメダカを見て、
「かわいそうなメダカ」という、
レッテルを貼るんです。

体が不自由なメダカ自身は、
人間の、
そんなレッテルなんて気にしていません。

元気に、
他のメダカ達と同じように、
美味しそうにエサを食べています。

他人の判断で、
「かわいそう」
と決めつけられて、

「かわいそう」
というレッテルを貼られるんです。

レッテルを貼られて、
その札で苦しめられるんです。

だから、
他人から、
「かわいそう」という、
レッテルを貼られないようにしないとね。

足が動かなくても、
何とかなるものです。

体全身が動かなくても、
何とかやっている人も多いです。

何とかなるものなんです。

何とかなるものを、

周りの人達が、
「かわいそうに」
というレッテルを貼って、

なんとか出来るものを出来なくするんです。

だからね、
もし、
身内や知り合いに、
不幸な事があっても、

自分が「なんとかなるよ!」という気持ちで、
不幸な目に合った人に接して欲しいです。

それが、
不幸な目に合った人への、
最大の「はげまし」になるはずです。

また、
具体的に、
「なんとかなるよ!」
という根拠を示して欲しいです。

ただ単に、
口先だけで、
「なんとかなるよ」と言うと、
相手を苦しめる事になります。

だから、
根拠があって、
「なんとかなるよ」
という言葉を使って欲しいです。

僕はね、
口先だけで、
「生きていたら良い事があるよ」
言う人がいましたが、
言い返しました。

「生きてたら良い事もあるだろうけど」
「生きてたら悪い事もあるんだよ」

そう、言い返すと、
相手が黙りました。

口先だけの言葉には、
何の力もないんです。

ただ、
良い事を言って、
自分がいいカッコをしたかっただけなんです。

そんな偽善は止めましょう。

生きて行く希望を失った人に、
どんな言葉をかければいいか?

みんさん、ご存知でしょうか?

考えた事があるでしょうか?

僕はね、
生きて行く希望を失った人には、

「高瀬浩司の生きて行く希望」

をお話ししています。

みんさんは、
自分の人生の目的や目標がありますか?

みんさんは、
死後、
どのような世界に行くのか?

自分の人生の答えを持っていますか?

答えを持っていなければ、

人生に希望を失った人に、
かける言葉が見当たらなくて当然です。

人生に希望を失った人を、
憐れむしかないんです。

そんな中、
イエス・キリストを救い主だと信じる人達は、
人生に希望を失った人に、
希望を与える事が出来るはずです。

僕は、
希望を与えて頂けた。

イエス・キリストを救い主だと信じる信仰が、
僕の生きて行く希望です。


それを、
証して行くのが、

僕の、
この世の使命なのでしょうね。


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