「相手の立場に立って」考える?

僕は5年前に腎臓が弱ってしまって、
慢性腎不全と告知されました。

告知と同時に、
人工透析が始まりました。

人工透析を受ける事になって、
あっという間に5年が経過しました。

この5年間で、
数か所の透析施設でお世話になりました。

僕は、
人工透析を受ける事になって、
初めて、
病院に対しての違和感を感じました。

歯医者だとか、
整形外科などの病院では、
違和感を感じる事がないのですが、

透析施設という場所では、
違和感を感じてしまうんです。

最近になって、
その違和感がハッキリ理解出来ました。

5年ほど前の事ですが、
元アナウンサーが、
自身のブログで、
透析患者を非難するような記事を書かれて、
社会問題になりました。

その問題で、
社会の多くのみなさんの、
「透析患者への思い」
が伝わってきました。

「透析患者に税金を使われたくない!」

そのように思っている方々がいるようです。

僕は、実際、
通院する病院のスタッフに、

「透析しているヤツラに税金を使われたくない」

そのように言われたことがあります。

僕が通っている、
人工透析をやっている病院の、
1人のスタッフに直接、
面と向かって言われたのです。


僕は驚きました。

僕に対して、
「ケンカを売っているのかな?」ってね。

透析施設で働くスタッフが、
そのような事を、
透析患者に直接言うのです。

僕が感じていた、
透析施設での違和感は、
まさに「それ」それだったんです。

僕は、週に3回、
4時間の人工透析を受けるために通院しています。

病院に着くと、
「おはようございます」と、
挨拶してくださるスタッフさんも多い。

しかし、
挨拶をしないスタッフさんもいる。


挨拶をするのが、
決まりだとか常識だとは言いません。

僕の経験では、
歯医者や整形外科という病院に行けば、
病院で働いているスタッフさん達は、
必ず挨拶して来ました。

それは、
病院と患者という立場で、
自然な流れで挨拶をしていたと思います。

いうならば、
「客商売」です。

コンビニへ行くと、
コンビニの店員さんは、
お客さんに挨拶をするでしょう。

そのように、
僕が病院へ行くと、
病院のスタッフさん達は、
挨拶してくださる。

しかし、
透析施設に限っては、
患者に挨拶をしないスタッフがいる。


やはり、
患者を患者と思っていないのでしょうかね。

自分が汗水流して働いて、
稼いだお金を、
自堕落な生活をしてきた患者に、
使われたくないからでしょうかね。


僕も、同じ立場だったなら?

僕も、
自堕落な生活をしてきた人に、
情けをかける事に対抗があったかも知れません。

相手の立場に立って考えると、
それが、
よく理解出来ます。


だから、
僕としては、
透析施設で挨拶をされなくても、
それは仕方がない事だなって。

僕も、同じ立場なら、
同じようにしていたかも知れませんからね。


だからね、
慢性腎不全になった時、
人間関係で苦しかったんです。

病院へ行くと、
何だか心がまいってしまうんです。

ただでさえ、
病気で苦しいのにね。

ただでさえ、
注射の恐怖などで、
病院へ行きたくなかったのにね。

それで、
病院へ行くと、

「税金を使われたくない!」

と面と向かって言われるのですからね。

挨拶もされずに、
無視されたりするのですからね。


病院へ行くとね、
人としての、
存在感を失ってしまうんです。


とても苦しかったです。

そんな生活でしたが、
僕が知識を得る度に、
心が成長して来たようです。

相手の気持ちも、
わからないでもない。

僕の気持ちも、
わからないでもない。


他人から、
自堕落な生活をして来たと、
思われてしまうのも仕方がない。


それでね、
悔しい思いをしながら、
通院生活を送るよりも、

過去の、
だらしない生活を改めて、

今後、
余生を充実した生活に変えて、
社会からの信頼を得る、
努力をする事にしたんです。


病気になったのは事実です。

そして、
治らない病気なので、
いくら悔やんでも仕方がない事です。

病気になった事を、
悔やんで、
人生に失望して生きて行くよりも、

病院へ行って、
「自堕落な生活してきた人だ!」と、
言われながら治療を受けるよりも、

これからの生活で、
名誉挽回すれば良いんじゃないだろうか?


人間、
誰しも失敗はある。

失敗したまま、
終わらせると、
失敗という事実だけが残る。

でもね、
失敗を挽回すれば、
その失敗のお陰で、
自分が飛躍出来ているかも知れません。


僕は、
自分の障害や、
大きな病気などは、

僕の成長のために、
必要な物だったと思います。


大ケガをして、
歩けない体になったことが、

僕にとっては、
「成長」するチャンスでした。

いえ、チャンスになりました。

僕は、
歩けない体になって、
言葉で表せない幸福を手に入れました。


歩けない体じゃなかったら、
五体満足の体だったら、

その幸福を、
手に入れる事が出来なかったかも知れません。

また、
大きな病気になってしまったけれど、

それで、
心が強く成長しました。

「相手の立場に立って考える事」の大切さを、
知ることができました。

慢性腎不全になって、
この5年間は、
本当に地獄のような毎日でした。

しかし、今は、
全ての出来事には意味があって、

その意味が理解出来て来たので、
毎日が幸せに思えます。


こうした、
人生の学びが出来ることが、
幸せですね。

僕は恵まれていると思う。

人生で、
色んな経験をさせていただいた。

6人家族で、
幸せな暮らしをしていた時もあった。
貧しい生活もして、
裕福な生活も経験した。

しかし、
両親の離婚をきっかけに、
家族がバラバラになった。

幸せな生活から、
一気に、
不幸な生活に変わった。

また、
大ケガをして、
歩けない体になって、
人生に失望・挫折しました。

健康な体でも生きて来た。
不自由な体でも生きて来た。
大きな病気で、
通院生活もして来た。

色んな経験をさせて頂けた。

それは、
僕の財産ですね。


歩けない体で生活をする事なんてね、
誰も願わない事です。

僕は、それを経験した。

やっぱり、
正直言って、
五体満足な体の方が、
やりたい事が出来ますからね。

でもね、
人が死んで、
この世を去った時、

「新しい世界」
が用意されていると、

そう、信じるなら?

希望を持って生きて行けます。

もし、
「人は死んで終わり」だったら?

僕は、
人生に失敗した「愚者」ですよね。

人生の「敗者」ですよね。

そういう意味もあって、
僕は、死後、

「新しい世界」が用意されていると、
信じたいのです。

新しい世界へ行くまで、
もっと、
人生経験を豊富に味わって、
自分の人間性を磨いて、

新しい世界へ行きたいんです。

新しい世界で、
もう一度、
素敵な人生を過ごしたいのです。

その思いがあるから、
僕は、
日々の生活で、
前を向いて歩いていられるのかな。


僕の希望は、
死後の世界です。


その世界を目指して、
この世の訓練に耐えてみます。

人生は訓練。


新しい世界へ行くための、
筋トレのようなもの。

そう、思うと、
心が楽です。

僕はね。


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