人生には、その日その日の課題があるようです。

先日、50歳になりました。

僕の50年間の生活を振り返ると、
色んな経験をしていました。

親の離婚や、
体が不自由な生活、

また、色んな、
「社会の裏表」を見てきました。

両親の離婚をきっかけに、
非行に走って、
社会の裏側で生きる人達の中で生活をしました。

普通の家庭も経験し、
普通ではない家庭も経験した。

健康な身体でも生活して来たし、
今は体が不自由で、
尚且つ病気で通院生活をしている。

裕福な生活をしていた事もあり、
貧しい生活をしていた頃もある。

小学生の頃、
1ヵ月ほどお米が食べれず。
ジャガイモしか食べ物がなかった。

学校の給食だけが、
僕達4人兄弟の栄養源でした。

結構、波乱万丈な人生でした。

しかし、
僕よりも更に、
波乱万丈な人生を歩んできた方も多い。

僕は子供の頃に、
正直な気持ちですが、

「裕福な家庭」に生まれたかった。

そう、思った事が多々ありました。

だって、
ジャガイモしか食べ物がなかったのですから。
ジャガイモだけでも、
食べる物があった事が幸せでもありましたが。

子供の頃は、
僕は不幸だなって思っていました。

しかし、
今、50歳になって、
僕がこの世に生まれて来た「目的」等を知り、
死後、どのようになるのか?

「死後の希望」もある。

僕が生まれて来た目的と、
死後、
僕はどうなってしまうのか?

その答えを、
自分なりに知った時、
僕の人生の不幸が、

幸福に変わりました。

それは、

「人生の目的を知り、死後の希望がある。」

これが前提です。

たくさんの辛さ、悲しみを経験すると、
その経験した数だけ、

「人に優しく出来る」のです。

自分も悲しみを体験しているから、
相手の立場にたって、
相手の目線にたって、
相手の気持ちを理解してあげれるんです。

裕福な暮らししな知らない人には、
人の辛さ、悲しみが解らない場合がる。

裕福が悪なのではなくて、

体験したことが無ければ、
貧しさを体験したことが無ければ、

解らないと思うんです。

極端な言い方をしますが、
国会議員の方々がね、
1ヵ月だけで良いから、
月3万円の食費で生活をしてほしい。

1ヵ月で良いから、
建設現場で肉体労働をやって欲しい。
1日8000円ほどの給料で。

そうすると、
この国が変わると思います。
意識がね。

話しがそれました、ごめんね。

僕は、生まれて来た目的と、
死後、どのような世界に行くのか?

聖書を通じて知っています。

ただ、聖書に書かれている事が、
真実かどうか?

死ぬまで解りません。

死ぬまで解りませんが、
僕の人生に希望を抱かせてくれているのは事実です。

今、僕は多くの辛さ、悲しみを経験している。

言い換えると、
世界で、
辛い生活をし、悲しい生活をしている人達の、
気持ちが少し理解出来る。

そういう方々に、
「希望を与える」
ことが、僕の使命・課題なのかなって。

つい先日、
誕生日の日に、
元妻と電話で話をしていました。

2日に渡って話をしました。
2日で約10時間の長電話です。( ´艸`)
*携帯電話は「かけ放題」で安心です。

その時に、
元妻から言われました。

「何で、そこまでボロボロになって、
神様はどれだけ試練をお与えになるの?」

そのように言いました。

僕はね、
その言葉を聞いて、
すぐにピンときました。

旧約聖書に「ヨブ記」という書物があります。

元妻に、言いました。
「ヨブ記」なんだよって。

ヨブ記というのは、
ヨブという神様に忠実な男性がいました。

とても裕福な暮らしをしていました。

ある時、
神様は悪魔と話しをしていてい、
悪魔が言いました。

あのヨブは、
神様、あなが彼の生活をた豊かにしているから、
神をあがめているだけだ!

ヨブから財産も、家族も、家畜も、
全てを奪い取れば、
きっと、神を呪うでしょう!

悪魔が神様に、そのように言ったのです。

すると神様は、
悪魔の言う通りにされたんです。

ヨブは、その地方では裕福な暮らしをしていましたが、
家族が死に、家畜も財産も全てを失った。

そして、ヨブ自身も、
皮膚病になりボロボロになった。
誰も近寄れないほどでした。

それでも、
神様を信仰していました。

ヨブの仲間達がきて、
「がまんすることはない!」
「神をのろえ!」
などと言います。

次第に、
友達も寄り付かなくなります。

ヨブが孤独を感じ、
ついに神様に対して呪いの言葉を言いました。

自分がこの世に生まれて来た事を、
初めて呪ったのです。

その、
ヨブの声をきいて、
神様がヨブの前に現れました。

「知識もなく言い分を述べて、
摂理を暗くするこの者はだれか。」
(ヨブ記38:2)

神様が、
この世界を創られた全てを語られました。

そしてヨブが我にかえりました。

全知全能の神を、
改めて信仰したのです。

そして、神様は、
以前の生活よりも、
何十倍もの富をヨブに与えました。

裕福な生活をしていて、
その暮らしは神様からの恵みでしたが、

いざ、その富を失ってしまうと、
人の心が曝け出されます。

本心が見えてくるようです。

そういった、
試練のようなものが人生にはあるようです。

僕は、何か辛い事がある時は、
いつも、聖書の、
「ヨブ記」を思い出すんです。

口では、神様!神様!と言っているが、
自分が不幸になると、
神様を呪う事もあるんです。

僕の、本音が出るんです。

人は、
幸せな時って、
心に余裕があるから、
何とでも言えるんです。

しかし、
ピンチな時に、
心に余裕が持てるでしょうか?

ピンチな時こそ、
われわれクリスチャンが、
勇気をもって立ち上がる時なのだと思うのです。

今の時代、
口だけのクリスチャン、
日曜日だけのクリスチャンが多いそうです。


いざとなったら、
みんなヨブのように神様に歯向かいます。

そんなクリスチャンが多いそうです。

そんな事で、
僕の人生は「課題」があるのだなって。

日々の生活に、
ちゃんと、その日その日の、
課題があるのだなって。

また、
人生の1番の課題は、

「神様の存在を認めること」

ことこれが、
人類の1番大切な課題だと思っています。

そして、
神様から与えられる、
日々の課題に取り組む。

辛くて悲しい事も課題。

嬉しくて幸せを感じる事も、
神様からの恵みだと思う。

この地球・世界は、
アダムとイブがおかした罪のために、
呪われた世界になったけれど、
耐え忍んで生きなさい。

そして、死後、
新しい世界への希望を持って生きなさい。

そのように、
神様は人間に課題をお与えになっているのだなって。

僕は、そのように信じている。

だから、
人生が楽しく感じられるのだと思う。

この、呪われた世界も、
捨てたもんじゃないなって。

辛くて悲しい事、
どんどん「かかったこいやー!」

そんな感じです。

そういう辛い事、
悲しい事が、

「僕の心を、より強くしてくれる♪」

そのように思うんです。

だって、試練は、
神様が与える物もなるけれど、

試練というか、
大きな病気になったのは、
試練ではありません。

ただ、僕の不摂生が多々って、
病気になっただけ。

その、
病気で苦しんでいる僕を、
救いの道を用意して、
助けてくれているのが神様です。

僕が歩けない体になったのは、
道路交通法を無視して、
公道レースをしていて、
僕のミスで事故を起こして歩けなくなっただけ。

歩けなくなった僕は、
人生に失望した。

人生に失望した僕を、
神様だけが救いの手を差し伸べて下さった。

いつも、いつも、
僕がへまをやらかして、
ケガをしたり不幸な目に合った時でも、

神様がいつも救いの道を用意して下さっていた。

僕が、神頼みする前に、

神様が、
ちゃんと救いの道を用意してくださっていたんです。

僕が信じる神様は、
僕の事を愛してくださっている。

今日、どんな事があっても、
今日、僕がこの世を去っても、

僕には、死後、
新しい世界が用意されている。

だから、
今日、1日の、
与えられている課題に向き合っていきます。

その課題が、
辛くて悲しいものであっても、

ちゃんと、
救いの道が用意されているでしょうから。

何かの目的があって、
試練が与えられるのでしょうから。

今日も1日を満喫しますね。(o^―^o)ニコ


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