「自堕落な人間」というレッテルを剥がす為に!

僕は5年前に、
「慢性腎不全」
という病気を発症しました。

いきなり、病気を発症したのではなくて、
生活をしていて、
少しずつ呼吸が出来なくなって来て、
食欲も無くなって来て、
尿や大便が出なくなってきました。

10日ほど経って、
息が出来なくなってきました。

「これはもう死ぬな」

と思いました。

僕は過去に、
何度も医師から死を宣告されています。
交通事故で脊髄を損傷した時も、
床ずれが酷くなって、
両足を切断する時も、
医師から死を宣告されました。

今回、息が出来なくなって来て、
死を覚悟しました。

死ぬことには恐怖がありませんでした。
それよりも、

「やっと人生が終わるんだな」

という気持ちの方が大きかったです。

それで、
変な言い方ですが、
死ぬ準備として、
自分で救急車を手配しました。

病院へ着くや否や、
「尿毒症」の中毒症状を引き起こして、
幻覚・幻聴が始まりました。

入院し、4日目の朝、
僕の心臓が停止しました。

目の前に看護師さんがいました。
呼吸が出来なくて、
超えも出なくて、
ただ、
体が飛び跳ねていました。

物凄く苦しかったです。

息が出来ないんですから。

それで、
「いよいよだな」
と思いました。

体の力を抜いて、

「しかたないな」

と心の中でつぶやきました。

すると、
いきなり電気が消えたような、
真っ暗になりました。

僕の心臓が止まった瞬間でした。


目の前に看護師さんがいたから、
今の僕があるんでしょうね。

僕にも、
まだ何か、
この世で使命が残っているのかもね。

人工透析が始まって、
みるみる僕の状態が良くなってきました。

病気こそ、
「治らない病気」だそうですが、
これから死ぬまで、
人工透析を受けないといけません。

僕はね、
先端恐怖症で、
注射を見ると気絶するんです。

それで、
体がしんどくても、
病院に行きたくても行けなかったんです。

注射が怖いからね。

もし、
僕が注射が怖くなくて、
先端恐怖症などがなかったなら?

健康診断も受けれたでしょうし、
しんどいとき、
我慢せずに病院へ行けたでしょう。

でも、
注射が怖かったんです。
病院へ行けなかったんです。

しんどくても、
血尿が出ていても、
我慢するしかなかったんです。

あげくに、
呼吸が出来なくなって、
心臓まで止まってしまうだなんてね。

僕は、
先端恐怖症もあるし、
HSPという敏感体質です。

大きな物音、
大きな声、
匂い、
敏感肌ですからセーターも苦手、

他人の体臭や口臭で、
吐きそうになったりする。

そんな事もあって、
病院という場所が苦手でした。

その苦手意識で、
病気になるだなんてね。

僕が慢性腎不全になったのは、
どうやら、
若い頃から、
何かしらの原因があったようです。

20歳の時に、
オートバイで事故を起こした時、
脊髄を損傷し、
下半身が麻痺して、
歩けない体になって、
車椅子を使った生活になりました。

色んな検査を受けました。

腎臓の検査もしていました。

その時、
医師から言われました。
「人工透析を受けないといけなくなるかも?」
そのような事を言われた記憶がありました。

それ言葉を聞いて、
25年後に、
僕は慢性腎不全になってしまいました。

その、
20歳から45歳までの25年間は、
それはそれは、
過酷な人生でした。

20歳の時に、
歩けない体になって、
人生に絶望しました。

それでも、
必死に努力して就職し、
結婚もし社会復帰をしました。

しかし、
人間関係で失敗し、
多くの方々に迷惑を掛け、
離婚をし、
自暴自棄になり、
2度目の、
人生に絶望しました。

人生に絶望していると、
心も病んで、
元気を失って、
栄養失調になりました。

歩けない足に、
床ずれがたくさんできました。

自分でガーゼの交換をしていましたが、
栄養失調なので治りません。

骨まで見えてきました。

そして、
自宅で敗血症を繰り返しました。

40度以上の熱が出ます。
汗で体がビショビショになります。

汗をかくと、
熱が一時的に下がります。
少し体が楽になります。

そしてまた、
高熱を出します。
汗をかいて熱が下がります。

こういった事を繰り返していると、
家族が病院へ連絡を入れました。

僕は病院へ行くのを拒んでいたので、
家族は、
強制的に病院へ電話したんです。

病院へ行くと、その日に入院しました。
そして、
1年間入院しました。

両足を切断するのに、
1年もかかったんです。

骨盤なども、
腐敗していたので、
骨盤を削り落としたりもしました。

2度目の、
人生の絶望した時に、
両足まで失いました。

たとえ、
動かない足でしたが、
失った時、
涙が出ました。

手術が終わった夜、
個室のベッドで、
悲しくてね、
涙が止まりませんでした。

退院後は、
「隠居生活をしよう」
と思ったんです。

もう、
静かに家でのんびり暮らそう。
無理しないで、
のんびり暮らそう。

そう思っていました。

のんびり暮らしていると、
この、
慢性腎不全という病気になりました。

必死に生きても、
空回りして、

のんびり暮らしていても、
治らない病気になっちゃうし。

俺の人生って、
どうなってんだ??

って、腹が立ちました。


それでいて、
慢性腎不全という病気になると、
「自堕落な人間」
だというレッテルまで貼られる始末です。

僕は慢性腎不全という病気になって、
何だか妙な視線を感じていました。

僕は、若い頃から、
大きなケガをして、
入院することが多かったです。

いろんな病院で、
いろんな人達と触れ合って来た。

しかし、
人工透析を受ける施設に足を踏み入れると、
何だか嫌な思いになるです。

「白い目で見られる」のです。

言い方は悪いですが、

「こいつらは、だらしない人間」

そのような目で見られるんです。

そのように、
見ない人もいます。

しかし、
「こいつらは、だらしない人間だ!」
という目で見る人の方が多いと思う。

そういった視線を感じて、
医療従事者に対して、
不信感がありました。

なぜ?
患者に対して、

「見下したような目で見rんだ?」

僕は不思議でなりませんでした。

しかし、
その理由がすぐに解りました。

数年前に、
元フジテレビの「長谷川豊」さんが、
ご自身のブログで、
人工透析を受けている人の事を、
残酷な表現で書かれていました。

それを読んで、僕は理解出来たんです。

社会の人々は、
人工透析を受けるよな人を、
「だらしない人間」
だと理解しているようなです。

だらしない生活習慣で招いた病気。
自業自得だろ!

だらしない生活をしておいて、
税金で治療を受けるだなんて、
もってのほかだ!

そういう、
社会の声が、
僕の心に飛び込んできました。

僕は、
先端恐怖症で、
これから死ぬまで、
注射の恐怖と闘わないといけない。

そんな時に、
社会から、
そのように思われている。

生きて行くためには、
人工透析を受けないといけない。

でも、
社会の人達からは、
人工透析には、
我々の税金が使われているんだぞ!
と言われる。

僕はね、思いましたよ。

心臓が停止したとき、
そのままにしておいてくれたらよかったのにと。

病気になったのは、
なりたくてなった訳ではない。

僕には、
僕の、
家庭事情もある。

そういう病気になった原因がある。

病気を誘発するような、
家庭の事情がある。

家庭の事情が解決出来なかった、
そういう原因もある。

努力していたけど、
人生に挫折して、
絶望して、
立ち上がれない事だってある。

それで、
病気になって、
「だらしない人間」
だと白い目で見られて、
人工透析をするなら、
自腹でしろよ!とまで言われる。

僕は思いました。

人工透析を受ける辛さってね、
週に3回、
死ぬまで通院するという事だけではなくて、

社会から、
「だらしない人間」
だというレッテルを貼られる事だと思うんです。

だってね、
同じ人工透析を受ける患者同士でも、

事故や、自分の責任ではなくて、
被害者的な立場で、
人工透析を受ける人もいて、

そういう患者は、
「私は自堕落な生活をして来た訳じゃない!」
と弁明します。

しかし、
社会の人は、
見た目で判断するしか方法が無い。

人口透析を受けていれば、
みんな同じように見えてしまうんです。

人工透析を受ける患者どうしでも、

私は真面目な患者だ!
あいつは自堕落な患者だ!

と、罵るのですからね。

まして、
治療に行くと、
医療従事者が言います。

「今日は重いな」

挨拶も交わさず、
透析手帳を見て、
体重が重いなあと言うんです。

その、
「体重が重いな」
という1言に、

やっぱりこいつは、
だらしない人間だという気持ちがこもっている。

だらしない人間だ、
自己管理も出来ないんだ。

いやいや、
自己管理が出来ないから、
こんな病気になったんだろ。

そんな風に思っているのでしょうね。

その、医療従事者の、
「言葉使いと態度」を見れば解かりますから。

見下した言い方ですからね。

ただ、
医療従事者は、
それ以上の事は言いません。

だって、
僕のような、
自堕落な人間の治療をして、
お給料を頂いているからです。

だから、
それ以上の事は言いません。
患者を見下すだけです。

患者を見下すような、
そんな医療従事者ばかりではありません。

思いやりのある、
医療従事者の方々も多いです。

それが、僕の救いです。

やはり僕はね、
他人から見下されるのは嫌ですね。

プライドの高い人間ですから。

病気になったのは事実。
病気になったい経緯は、
仕方がないというと仕方がない。

僕が、過去の生活で、
もっと努力していたなら?
この病気にならなかったのか?

どうしていたら、
良かったのだろう?

何事にも原因があります。

その原因を、
確認する事が大切。

僕は、
過去の自分の生活を振り返って、
病気になった事を悔いました。

悔いて、反省しました。

そこからが、
人生の再スタートだと思うんです。

失敗をしましたが、
失敗した原因を知って、
悔い改めて反省するんです。

僕は今、
筋トレをしています。
動機は不純なものですが、

筋トレをやっていて思います。

病気になって、
社会からだらしない人間だと言われるけど、

こうして、
筋トレをすることで、

誰からも、
「だらしない人間だ!」
と言われなくなりました。

だから、
僕は筋トレを続けることが出来たのかも知れませんね。

確かに、
筋トレは好きです。

肉体が強化されて、
美しい体に見惚れます。

しかし、
社会からの、
白い目で見られるのが、
和らいだのは事実です。

だらしない僕じゃなくて、
「筋肉質な僕」
を見てくれている。

人は、
他人の心の中まで観れません。

外見や、
その人の言動でしか、
相手を判断出来ません。

相手の表情を見て、
相手の気持ちを理解するのと同じ。

心の豊かな人であれば、
相手の心も読めるでしょう。

僕が筋トレをする理由は、
「だらしない人間だ!」
という、
「レッテルを剥がすため!」
にやっているんだと思います。

その悔しい思いが、
筋トレをする原動力かも知れません。


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