障害だと決めつけているのは自分自身?

あらゆる障害を作っているのは自分自身。

目の前に階段があると、
「障害」だと認識する。

階段があるなら、
違う道をさがせば、
障害だと認識しなくて済む。

他人と自分を比較すると、
色んな障害を認識してしまう。

だったら、
他人と比較しなければいい。

自分には自分のやり方があっていい。

僕は両足がないけど、
障害があるとは認識しなくなって来た。

足が無くても、
ちゃんと生きている。

もし、僕が、
生きている事に障害があったなら?

この世に居なかったでしょう。

社会の皆さんの助けがあって、
安心した生活が出来ている。

僕に、どんな障害があるのだろうか?

足がないとダメなの?

ケガを負った時、
歩けない体になった時、
やっぱり絶望しました。

それは、
「他人と比較」したからです。

俺の人生、もう終わったなって。

何とか受容期間が終わって、
「こんな体の僕に何が出来るんだろ?」
と考え始めた。

そして、
「今、やれる事をやった。」

来年で、ケガをして30年になります。
僕は今、
「やりたい事をやって楽しんでいる。」

今の僕の生活に、
何の障害もありません。

足がないことが障害なのだろうか?

それは、
他人と比較すると障害になるだけで、
僕の生き方には障害はないです。

目の前に、
5メートルの壁があったなら?
足が無い人も、足がある人でも、
その壁が障害になるんじゃない?

僕は、
「障害を克服しよう!」
なんて事は言いません。

障害だと認識するから、
心が重くなるんだと言いたい。

自分の状態で、
自分のやり方で生きて行けばいい。

他人と比較するから、
劣等感が生まれたりする。

「今、私に何が出来るの???」
と、そんな事を考えるよりも、

「今、やりたい事をやろう!」
と思う方が素敵です。

やりたい事をやっている事に、
障害なんてありません。

いえ、
この世に障害なんてないかも。

認識の問題でね。

人は、
何故か解らないけど、
障害があったなら、
その障害を「乗り越えよう!」とする。

それは悪い事ではないけれど、
障害だと認識している時点で、
ズレていると思う。

歩けない体になったから、
障害に負けないぞ!だとかって、
何だかズレている。

生活スタイルが激変して、
大変な事は僕も知っている。

でも慣れます。

その、障害を乗り越えて、
それでどうなるの?

努力した人生だったかもしれませんが、
死んだら終わり。

全ての人は死にます。


人が、何故この世界に生まれて来たのか?
人は、死んだらどうなるんだろうか?

こういった、
人生の答えを持っていない事の方が、
「人生の大きな障害」だと思うんです。


僕は、僕なりに、
人生の答えを持っています。

その答えはとは「聖書」です。


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