神様を信じてから「放蕩息子」になった

聖書に書いてある記事が、
もし、事実だったとしたら?

聖書に書いてある記事が、
事実だという事を前提で考えると、
色々と「つじつまが合う」のです。
僕の場合はね。

他の人も、
僕と同じように、つじつまが合うのか?
というと、そうではないと思います。

だって、
十人十色ですからね。

人には、
色んな主観があって当然ですから。

だから、
僕は、僕の主観を強要するのではなくて、
僕個人が、
どのように聖書を捉えているのか?
そういう記事を書いてみたいです。

聖書に書いてある記事が、
事実だという事を前提で考えると、

僕がこの世に生まれて来た理由が解ります。
僕が何故?
死ななければいけないのか?
その理由も解ります。
死後、僕はどうなってしまうのか?
その理由も解ります。

人生を、
どのように過ごすのが良いのか?
解ります。

人は、
神様の「愛の対象」なんです。

人は、
神様から愛されています。

クリスチャンに問いたい事ですが、

イエス・キリストが、
この世に生まれて来た理由はなんでしょうか?

クリスチャンは答えるでしょう。

「聖書に書かれている予言通りに来られた」と答えるでしょう。

その通りだと思います。
僕も、そう思います。

そして、僕は、
こんな風にも思うんです。

「人間の苦労を味わう」ためにも、
「この世界に来て下さったのかな?」って。

また、川で溺れている人を見て、
川に飛び込んで助けに行く人のように、
この世界に飛び込んで来て下さったと思うんです。

それ程に、
僕達人間を愛して下さっているのだと思うんです。

クリスチャンと呼ばれる人達は、
その「行いが正しかった」から?
天国に行けるのでしょうか?

クリスチャンと呼ばれる人達が、
その「行いが悪かった」から?
天国に行けなくなるのでしょうか?

福音を知ったのは、
自分の努力でしょうか?

福音を信じれたのは、
自分の努力の結果でしょうか?

太陽の光が地球上の人々を照らすように、
福音も、多くの人々に受け継がれています。

クリスチャンだからこそ、
未信者に躓きを与えてはいけないから、
御言葉に相応しい生活をする事を強調しがちになる事もある。

知らず知らずの内に、
律法主義者やパリサイ人のような人間になっている事もある。

行いによる義を強調しようとするあまりに、
それが出来ない事に気付き、
罪悪感にさいなまれて、
日曜日だけのクリスチャンになる事もある。

日曜日だけクリスチャンで、
後の6日間は、
まるで未信者のような暮らしぶりな事もある。

「教会」という組織を意識し過ぎて、
「クリスチャンだから」という言葉を意識し過ぎて、
息苦しい生活をする事もある。

自分の子供が、
親の命令を守ろうとして、
親の顔色ばかり見て、
心苦しい生活を余儀なくされる事もある。

そんな子供を見て、
「幸せそうに」見えるだろうか?

自分の子供には、
「親を信頼」して欲しいでしょう。
「親を頼って」欲しいでしょう。

自分の子供を崖から突き落とすような試練を与えて、
どんなメリットがあるのでしょうか?
崖から突き落とすような試練を与えて、
厳格な生き方を強要するのが愛でしょうか?

もし、僕に子供がいたならば?
崖から突き落とさないで愛します。

僕は、何の努力もしないで、
ただ、神様からの一方的な愛によって、
僕の心に福音が響きました。

僕は、神様の言葉を厳格に、
忠実に守って、
神様の顔色を見て生活をした方が良いのでしょうか?

クリスチャンと言われる人達の顔色を見て、
聖書の言葉に相応しいような生活を、
努力して行うことが大切なのでしょうか?

僕は、そんな息苦しい空間にはいられませんでした。

それは、
僕が乳飲み子のように、
まだ御言葉を学び足りなかったからでしょうか?

いえ、聖書の言葉を、
「まだ、神様を信じていないんじゃないか?」
と思われていたかも知れませんね。

僕が、
神様を信じているかどうかを、
人間である他人が判断出来るのでしょうか?

そうやって、判断する人は、
いったい、何者でしょうか?

僕の人生は、まだ49年しか経験していません。

しかし、
この49年という人生で、
多くの経験をしてきました。

まだまだ、多くの経験をする途中です。

20年間、健康な身体で生活してきて、
事故をきっかけに、
20年以上、不健康な身体で生活してきました。

親の離婚で母子家庭も経験しました。
人生に希望を失って、
やさぐれて、社会に迷惑を掛けていた時もありました。

家族と折り合いが付かず、
孤独になって、1人暮らしを始めて、
人生の侘しさも経験しました。

実の父親に、何度も裏切られた経験もしました。

色んな職業を経験しました。

多くの人達と出会って来ました。

聖書に出会って、
信仰生活が始まりましたが、
信仰生活に疲れて、
教会という輪から離れました。

この世の中には、
色んな病気や症状があるのを知りました。

・エンパス
・アスペルガー症候群
・サイコパス
・HSP

僕は、HSPという、とても敏感な体質のようです。
敏感が故に、
人間関係が上手に保てないんです。

そういった症状を持った人も多いです。
心の病を負った人も多いです。

僕自身も、
何度も、心に病を負いました。

そういった、
心の病などを負った人にしか、
解らない事もあるようです。

健康な人には解らない、
病気の人の苦しみがあるようです。

僕は、自慢する訳ではありませんが、
多くの不幸を経験してきたと思います。

多くのケガをしてきました。
多くの病気にかかりました。

今現在も、
歩けない体で車イス生活をしています。

そして、人工透析まで受けています。

大きなケガも、
大きな病気も経験しています。

経験しているからこそ、
言える事も多いんです。

経験している人の言葉と、
経験のない人の言葉とでは、
「説得力」が違ってくると思います。

自動車を運転した事がない人が、
自動車の運転についての魅力を語っても?
あまり説得力がないかも知れません。

僕は、聖書の福音を知り、信じ、
希望に満ちていましたが、
信仰生活に疲れて放蕩息子になりました。

聖書の福音を知ってから、
ある程度、聖書の知識を知ってから?
放蕩息子になったんです。

それが、
どれほど辛い事か?
クリスチャンのみなさんに理解出来るでしょうか?

イエス様は語っておられます。

福音を知って、
それで御言葉から離れてしまうと、
福音を知る前の生活より酷くなると仰られました。

僕も、その御言葉を知っていました。

知っていて、
あえて放蕩息子になったんです。

それが、
どれほどの悲しみだったか?

クリスチャンの方に理解出来るでしょうか?

本当に、
御言葉を知る前の生活よりも、
酷い生活になりました。

イエス様が仰った通りになりました。

僕は、HSPという事もあって、
1人で聖書を学んで、
1人で神様と交わっている暮らしをしています。

律法主義者的でもなければ、
パリサイ人敵でもなく、
未信者のような暮らしぶりです。

ただ、
死んで天国に行くまでの間、
この世で楽しもうと思っています。

神様は、厳格な方でもありますが、
神様は、僕達人間を、
規律正しく生活をさせるロボットのようにしたいのでしょうか?

それとも、
呪われた世界になってしまったけれど、
天国を用意してあるから、
死を迎えるまで、
この呪われた死の世界ででも、
楽しく暮らして欲しいと思っておられるのではないでしょうか?

神様は、
ご自身の命を捨てられたほどに、
人間を愛されたのですから。

僕達は神様に愛して頂いています。
それで良いんじゃないでしょうか?

神様の顔色ばかりを見るのではなくて、
神様に、
この世で楽しんでいる姿を見せた方が、
神様が喜ぶんじゃないでしょうか?

僕は、水槽でメダカを飼っています。
メダカを飼う事は、
メダカが僕の愛の対象だからです。

メダカ達が、
僕の顔色ばかりを見て、
ロボットのような暮らしをしていても、
僕は嬉しくはありません。

水槽の中で、
楽しく、生活をしている姿を見たいのです。

僕は、色んな経験をして来たという事は、
色んな経験をして来た人達の気持ちを、
少しは理解出来るという事です。

心に病を負ったクリスチャンも多いでしょう。
僕も、その1人です。

僕の心がまた、元気になって、
神様が、僕を器として使って下さる時が来たならば?

僕は、信仰生活に疲れてしまった人達や、
心が病んだ人達と、
同じ目線で会話が出来ると思うんです。

ただ、今は、
放蕩息子をしています。

ひょっとしたら?
僕は、放蕩させてもらっているのかも?

放蕩という名の、
色んな経験を積ませて頂いているのかも知れません。

もっと、
色んな経験をする必要があるのかも知れません。

ただ、言えることは、
僕のカバンの中には、
いつも聖書が入っています。

枕元にも、聖書が置いてあります。

時が、用意されているかも知れませんね。

神様のご計画が。

僕は、ただただ、
今を楽しんでいます。

メダカを育て、植物を育て、
好きな音楽を聴いて、
好きな事だけをやっています。

100%、
行き当たりばったりな生活です。

僕には僕の「時」が用意されていると思います。

神様のご計画という「時」があるのだと。


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