僕の余生の目的とは?

昨日は、姪っ子と人生について語り合っていました。
姪っ子の家庭環境は悲惨なものでした。
僕の家庭環境も、
負けないくらいに悲惨なものでした。

だってね、
小学6年生の頃、父が借金を作ったお陰で、
自宅を売り払って引っ越しをし、
1ヵ月間、ジャガイモしか食べる物がなかったんです。

家に、お米がなかったんです。

僕達4人兄弟の栄養源は、「学校の給食」でした。
学校に行くと、美味しいご飯が食べれたんです。
給食を残す友達を見ると、何だか腹が立つほどでした。

家族に迷惑ばかりかけていた父は、
ついには離婚し家を出て行きました。
母子家庭となってしまい、姉と僕は非行に走りました。

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非行に走る前には、
隣のクラスに好きな女性がいました。
相思相愛でした。

しかし、
貧乏な家庭が、母子家庭によって、更に貧乏な生活になり、
好きな女性とは距離が離れて行きました。

それは、好きな女性の家庭は、
会社経営者で裕福な家庭だったんです。

僕の愛する女性は、社長令嬢です。
方や僕は、母子家庭で、
中学を卒業したら高校へは進学しないで、働く予定でした。


家族を養うためにね。

そんな事で、
僕には高校生活などは無関係。
学校にも行かなくなりました。

好きな女性の事を考えると、辛くなりました。
「貧乏な俺とは、不釣り合いだなって。」

貧乏はね、心まで腐らせるようです。

社会人になってからも、
いろんな女性とお付き合いしました。

ほとんどの女性が、
「母子家庭」や「父子家庭」で育った女性でした。


何も、僕は、
僕と同じ環境で育った女性を、
選り分けてお付き合いした訳ではありません。

たまたま、意気投合した女性が、
そういった家庭環境だったということです。

というかね、
お互いが、そういう家庭環境だったからこそ?
意気投合できたのかも知れませんね。

こういう言い方をすると、語弊がありますが、
何不自由なく、裕福な家庭で育った人には、
「貧乏」というものが理解できないと思うんです。

その逆も然り、
貧乏人には、裕福な生活が理解出来ないんです。


貧乏人が、裕福な暮らしをして来た人の感覚には、
ついていけないんです。

裕福な暮らしをしてきた人に、
貧乏な暮らしは出来ないかも知れません。

苦労したことが無い人に、
苦労してきた人の気持ちなんて、解らないかも知れません。

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だから僕は、
裕福な暮らしをしてきた人を、好きになる事はないのかなって。
同じような環境で育った人となら、
これからも苦しみを共有できると安心できるのかなって。

それは、
貧乏生活が生み出した「心のひがみ」かも知れません。


僕は、貧乏も経験してきて、
また、不自由な体になって、
苦しい生活も経験してきた。

同じような境遇の人達の気持ちが、少しは理解出来ていると思う。

傷の舐め合いではありませんが、
力になれることがあれば力になりたいです。

痛みを知ったのは、
他人の痛みを知るためでもあったのかなって。

僕は、自分が死んで、どうなるのか?
聖書という書物に期待を寄せている。


そんな事で、僕の余生は、
弱い立場の人たちの力になる事なのかなって。

そのために、
この世界で「生かされている」のかなって。


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