「性欲」なのか「本能」なのか「好き」なのか?

つい最近まで大好きな女性がいました。

もう終った、
過去の想い出です。


終ったことですが、
振り返ってみると、

僕はその女性の事が、

「好きだったのか?」

解らないのです。

ただ、
その女性を見る度に、
好きだった気持ちが冷めてくるのです。

その女性の事を、
1つ知ると、
知った分だけ気持ちが冷めるのです。

その女性の事を、
何も知らなかったならば、
ずっと片想いでいられたと思う。

何年でも。


それが、
その女性を知れば知るほど、
気持ちが冷めてしまうのです。

それが辛くてね。


僕は好きになった女性を美化していたと思う。
美化しすぎて、
現実とのギャップに苦しんだと思う。

変な例えですが、
美味しそうなジュースを買ったけど不味かった。

でも、
お金がもったいないから、
我慢して飲む。

例えが悪かったですが、

何も知らないで買ってしまうと、
不味かった時に後悔します。

期待していて、
裏切られて、
嫌な思いをするのです。


そもそも、
僕がどんな理由で?

女性を好きになったのでしょうか?

何の目的があって、
女性を好きになってしまうのでしょうか?

また、
男性は、
女性と愛し合うべきものなのでしょうか?


僕は好きな女性が出来ると、
やはり性欲も湧きます。
好きな女性と交わりたいと思う。

何で?
交わろうとするのでしょうか?

好きだからでしょうか?
愛の確認だとか言う人がいますが、
果たしてそうでしょうか?

ただの「性欲」じゃないのだろうか?

快楽を求めるだけの、
性欲ではないのだろうか?

性欲を発散するならば、
何も特定の女性に限定しなくても良いのでは?

好きじゃない人でも、
OKではなかろうか?
性欲の処理だけならば。

私欲ではなくて、
自分の子孫を繁栄させるために、
性行為をするのならば、
それは自然だと思う。

子孫を繁栄させる行為と、
性欲とは、
同じでなのだろうか?

子孫を繁栄させるための行為に、
オプションのような形で、
「性欲=快楽」が、
おまけとして付いているのだろうか。


あるサイトの記事を読むと、
人が人を好きになる理由に、

「自分の子孫を残すため」に、

人が人を好きになると書かれていました。

幼い頃に、
優しくしてくれた人に、
「似ているから」
相手を好きになるとも。

また、
自分が暮らすテリトリーで、
「その女性が1番」だと、
「妥協」して好きになるとも書かれていました。


僕はメダカを飼っています。

メダカ達を見ていると、
水槽の中で、
恋愛をしているメダカはいません。

繁殖期に、
メスを追い求めるメダカはいますが、
それは、
子孫繁栄のためでしょう。
本能的な行為でしょう。

そう考えると、
人間の世界でも、

「人と人と一緒に生活をし、
子孫を繁栄させるために性行為をする。」

それが、
自然な答えかも知れません。


それならば、
「好きだという感情」
は、どうなるんでしょうか?

それは、
相手を好きだと思い込むことで、
生活が続けられる。

そう思わなければ、
一緒に生活なんて出来ない。

相手を好きでいないと、
相手を愛していると、
思い込まないと生活が出来ない。

「妥協」しているというのも、
間違いではないかも知れません。


もし、
性欲もなくて、
子孫繁栄だとかの本能も意識もなかったなら、

異性に興味を必要だと思うだろうか?

僕は今、
好きな女性はいません。

性欲は、
エッチなサイトを観て、
「はいはい、終り」
ってな感じで処理しています。

結婚して、
家庭を築きたい!という思いもありません。

というより、
子供が欲しくなかったからです。

もし子供が出来た時、
自分と同じような思いをさせたくないからです。

子供を幸せに出来る自信がないし、
子供を不幸にしたら、
子供がどのように苦しむか?

自分が経験して知っているからです。


そんなことで、
今の僕にとっての女性は、
異性という分け隔てがないかも知れません。

恋愛対象ではないってこと。

いえ、
僕が「ホモ」だと宣言しているのではありません。

女性を、
異性として必要ではないということ。


そうやって、
分析していると、

つい最近まで大好きだった女性に、
僕は何を求めていたのだろうか。

それが解らなくて、
モヤモヤしていましたが、
ようやく答えが出ました。


僕が、
その女性を好きではなくて、
ただ、
「好きなんだと、思い込ませていた」のです。

僕は恐怖を抱いて生活をしていました。

その恐怖を誤魔化すために、
ある女性を好きになって、

「その女性に会いたい!」

という理由を作りました。

すると、
恐怖よりも、
「その女性に会いたい!」
という気持ちが勝って、
恐怖が誤魔化せるのです。

自分で自分を洗脳していたんです。

それは、
僕が意識的に、
そんな事をしたのではなくて、

「吊り橋効果」

という現象が起きたのです。

吊り橋は、
とても危険で怖いものです。

男女が、
吊り橋を渡る時、
お互いが恐怖を感じます。

恐怖を共有した男女は、
お互いを守ろう、
守ってもらいたい、
一緒にいて欲しい、

そういう気持ちになってしまい、
恋が芽生えるというのです。

それを、
「吊り橋効果」と呼ぶようです。

僕はまさに、
その吊り橋効果で、
女性を好きになったのです。

だから、
好きだった女性を知れば知るほど、
幻滅したのです。

吊り橋の上にいた状態なら、
ずっと、
その女性を好きでいられた。

しかし、
吊り橋を渡り切った今では、
何の恐怖もない。

現実に直面し、
好きだった女性の本質を見て、

「なんで、こんな人を好きになったんだろ?」

と、自分に不信感を抱くのです。

相手の女性に問題があるだとか、
自分に問題があるだとかではなくて、

「吊り橋効果」

の影響で、
お互いが錯覚してしまっただけなんです。

好きでも何でもなくて、
ただ、
恐怖を誤魔化すために、
好きな人だと、
思い込もうとしただけなのです。

だから、
あの人を、
「好きなはずなのに??」と
自分を疑ってしまったのです。


僕は過去に、
何度か恋愛をしています。

今、考えてみると、

「この人とずっと一緒にいたいな」と、

そう思える人がいませんでした。


しかし、今現在、
僕の心の中に、
ずっと居座る女性の影がある。

最近まで好きだった、
女性の影です。

僕は、
その女性の事を、
「好きでいよう」
と、心に、
「思い込ませて」いただけです。

恐怖から目をそらすためにね。

ただ、それだけだと思う。

好きではなかったはず。

しかし、
心の中から、
その女性の影が、
いつまで経っても消えません。

その理由が、
僕には解らない。

相手の女性は、
僕の事なんて、
眼中にないです。

むしろ、
その好きな女性から、
僕は嫌われていますから。


それなのに、
どうしてでしょうかね、
大好きだった女性の影が消えません。


その女性を知りたくないです。
知れば知るほど、
幻滅するからです。

その女性を、
好きだと思い込ませていた時は、
僕の心に、
その女性の笑顔が鮮明に映っていました。

しかし、
その女性を知るたびに、
その笑顔が薄れて行きました。

そして、
心の中には、
その人の影しか見えないようになりました。


その内、
影すら、
見えなくなるのでしょう。

時が経てば。


と言うか、

その女性を忘れたいから、

「最初から好きではなかったんだ」と、

思い込ませているのかなって。

片想いだし、

「好きだと思うと辛くなる」から、

好きではなかったんだと、
自分の心に思わせているのかも知れません。

最近は、
そのように感じてきました。


まあ、
どちらにせよ、

僕は、
好きだったという過去を消そうと思う。

そう、
心で思っているから、
自分の心に従おうと思う。

例え、
記憶が消えなくても、

何か、
素敵な目標を掲げて、
過去を振り返らないようにしてみます。


心の中を、
スッキリさせたいです。


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