自分の目の中の「メッキ」を剥がそう。

世間の、
大体の人達は、

他人から、
「自分が悪い人間」
だと見られたくないものです。

極少数ですが、
他人から、
極悪人に見られたい人もいるようです。

他人を威嚇するような人もいますからね。


しかし、
大体の人達は、
他人から嫌われたくないから、

自分の悪い性格だとか、
悪い面を隠そうとします。
出さないように気を付けているはずです。


特に、
初対面で、
知り合ったばかりの人の前では、
「猫を被る」
ものです。

失礼が無いようにするのが、
社会的な礼儀でもあったりする。


他人の良い面を見ていると、
「ああ、あの人は素敵な人だな」
と思います。

良い面だけを見ているとね。

しかし、
いざ、
その素敵な人が、
毎朝、
好んで満員電車に乗り込んで、
痴漢行為を働いていたらどうでしょうか?

そういう例も、
少なくないはずです。

「ええ、まさか、あの人が!?」

というような事件も少なくないでしょう。


逆に、
「アイツなら、やりかねないよな!」
と、世間から低評価されている人が、

誰も見ていないところで、
老人に親切にしていたり、
野良犬にエサを与えていたらどうだろうか?

そういう、
心の優しい一面ももあるんだ・・・

と、
自分の偏見が解かれることもあるのです。


そうなんです、
「あの人は素敵だ!」
いうのも、
「アイツならやりかねない!」
というのも、

真実を知らない、
勝手な自分の思い込みであって、

「偏見」なのです。

普段から、
素行の悪い人は、
悪い面しか見られない。

しかし、
そういった素行の悪い人には、
「シャイ」な人も多い。

不器用なんです。

だから、
人が見ていない所で、
困っている人がいたら助けるのです。

不器用な人は、
他人に優しくしている所を見られたら、
それを、
「偽善行為」
に思われたくないんです。

だから、
人の見ていない所で、
他人に親切にするのです。


そして、
偽善者は、

大勢の人達がいるときに、
他人が見ていることろで、
他人に親切にするのです。

他人が見ていない所では、
例え、
困った人がいても素通りするのです。


僕は人の悪い面を見ます。

人を信じません。

信じて裏切られるよりも、

信じないで、
期待しないでいた方が、

良い結果があった時、
サプライズ的な喜びがある。


変な例えですが、
宝くじを買います。

「当たってくれ!」

と、期待していると、
ハズレたときに、

その「期待と挫折感が比例」します。


しかし、

「宝クジが当たったらラッキーだな♪」

と、期待しないで、
当たったらラッキーだなと思っていれば、

本当に当たった時には、
驚きますし、
その驚きが、
サプライズ的な喜びとなるのです。


相手の悪い面を知っておくと、
例え、
その相手が悪い一面を見せても、
「慌てる事」がないのです。

知っているからです。

そういう性格だと。

もし、
相手がそういう性格だと知らなかったら?

そういった行為を見せた時、
あなたは相手に幻滅するでしょう。

知っていれば、
「ああ、いつもの事だ」
と流せるのです。


その人が、
そう言う人だと、
「前提」にあるならば、
慌てることも、
イライラすることもない。

人は、
前提にない事が起きると慌てます。


もし、
素敵な人だと思っている人の、
「嫌な面」を見ると、
不信感を抱きます。

その、
嫌な面ばかりを見ていると、
メッキが剥がれます。

その人にメッキが施されているのではない。

自分の目に、
メッキが施されているのです。

自分の目に、
メッキが施されているから、

相手が輝いて見えるのです。

自分の目のメッキが剥がれる時、

相手が「くすぶって」見えるのです。


相手が輝いているのではなくて、

自分の目が、

メッキで輝いているのです。


*本当に輝いている人も多いです。



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