恋とは「理想を押し付け合う行為」かも?

好きな女性の「どこ」を見ていますか?

僕は、
好きな女性の全てが好きでした。

容姿も性格も、
その女性の存在の全てが大好きでした。

その「短所」さえも愛おしかった。


好きな女性の短所を、

「天邪鬼な性格」だと解釈し、

「照れ隠し」なんだと解釈し、

「優しさの裏返し」と解釈するんです。


そう解釈すると、
好きな女性の短所が短所でなくるのです。

いえいえ、
無意識に、
そんな風に解釈してしまうんです。

好きな女性の全てを、
「肯定」
してしまうのです。


極端な例ですが、
好きな女性が空き巣の常習犯で、
犯行現場を目撃され、
殺人事件を犯してしまった。

しかし、
その女性の事を好きな男性は、

好きな女性が、
「正当防衛的な理由」
で、人を殺めてしまったんだろうと、
殺人という罪を犯した事実を、
否定しようと想像してしまうのです。


好きな女性が、
非人道的な罪を犯しても、
それが理解出来なくなっているのです。

そんな恋もある。

時に人は、恋に盲目になるようです。


恋をすると、
相手の存在を、
相手の全てを肯定しがちです。


恋は、
自分の理性を失わせ、
判断力を鈍らせるものです。


好きな女性の、
良い所を見ていると、
好きな女性の信者になってしまう。

好きな女性の、
たまに見る悪い部分は、

たまに見るから塩気が利いた、
「スパイス」
的な役割になって、
良いものだと誤解してしまう。

しかし、
悪い部分ばかりを見ていると、
少しずつ、
自分の理性が戻って来ます。

好きな女性の、
悪い部分を見ていると、
不信感が抱きます。

相手に不信感を抱くのではなくて、
「自分自身に不信感を抱く」
ようになるのです。

あれ?
俺は何で?
あんな女性を好きでいるのだろうか?

と、
自分の心に理性が戻って来るのです。


ということで、
恋をすると、
自分の理性が失われるのです。

理性を失うと、
盲目になるのです。


盲目にならないためにも、
好きな女性の、
「悪い部分」
を見た方が良い。

好きになった女性の、
悪い部分だけを見ると良い。

その悪い部分を、

・許せて、
・理解してあげれるなら、

その女性を好きになっても安心です。


好きな女性が出来て、
お付き合いが始まる。

しかし、
好きな女性の悪い面を見て、
嫌いになって別れた。

そういうケースが多いと思う。


だったら、
最初に、
好きになった女性の、
「悪い部分」
を探せばいい。

その悪い部分を知って、
それでも好きならば、
交際をすれば良いと思う。

悪い部分を受け入れているのですから、
悪い部分があるのを前提に、
お付き合いするのですから、
問題が起きても、
慌てなくて済むでしょう。

それよりも、
相手の悪い部分を知っておくと、

その人の「良い部分」を見た時、
良い部分が引き立つのです。

悪い面もあるけれど、
「こんなにも素敵な一面があるんだ!」
と、喜べると思うのです。


恋とは、

・勝手に相手を美化して、
・相手の全てを肯定し、
・自分の理想を押し付けてしまう行為です。

恋は、
自分の勝手な思い込みです。


また、
失恋は良いことです。

自分の勝手な思い込みの恋を、
失うのですから。

良いことです。


恋する2人は、
自分の理想を相手に押し付け合う。

そして、
お互いの理想に共感しあえるもの同士が、
付き合いが続く。

好きになって交際が始まったけれど、
自分の理想が共有出来ないもの同士は、
破局を迎えるのです。

お互いが、
自分の理想を押し付け合うからです。


しかし、
好きになった相手に、
自分の理想を押し付けないで、

相手の理想に近づいてあげる努力、
相手が喜ぶような人間になることが、

末永くお付き合いするコツかも知れません。

相手に愛情を注がれようと、
求めるのではなくて、

自分から相手に、
愛情を注ぐと良いのではないでしょうか。


愛情を求めて、
愛情が注がれなくて、
寂しい思いをするくらいなら、

求めない方が、
傷付かなくて良い。

それよりも、
自分は、
愛情を注がれて嬉しいから、
愛情を注がれたく思うのでしょ?

だったら、
相手も同じ気持ちだろうから、
相手もあなたから、
愛情を注がれたいと思っているでしょう。

だから、
あなたから、
相手に、
たくさんの愛情を注げば良いのです。

そうすれば、
愛情を注がれて喜んでいる相手が、
あなたにも愛情を注ぎ返すでしょう。

求めるばかりが愛ではない。

愛は、
見返りを求めず注ぐものだと思う。


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