嫌いな人を、嫌いになってしまう理由って何だろう?

人間関係を上手にしたいのですが、
どうも僕は下手くそです。

なぜ?
人間関係が下手くそなのか?考えてみました。

人間関係が下手というのは、
具体的に言うと、
僕が、
「相手を嫌い」
になってしまって、
相手とコミュニケーションを、
取りたく無くなってしまうのです。

会話もしたくない、
声も聴きたくない、
顔も見たく無くなってしまうのです。

嫌いになった相手と、
関わりを持ちたく無くなるのです。

嫌いな相手が近くにいるだけで、
イライラする。
イライラを我慢するとストレスになります。
そのストレスが溜まって、
溜ったストレスが憎悪に変わります。


では何故?
僕は、
相手を嫌いになってしまうのでしょうか?

人間は誰しも好き嫌いはあると思います。
食べ物を使って例え話をしてみます。

僕は「赤いウインナー」が大嫌いです。
極力、
食べたくない食品です。

僕は何故?
赤いウインナーが嫌いなのかというと、
子供の頃、
母の目を盗んでは、
冷蔵庫の赤いウインナーを盗み食いしていました。

赤いウインナーを、
焼いたりする訳ではなくて、
そのまま食べていました。

来る日も来る日も、
赤いウインナーを盗み食いしていると、
赤いウインナーが不味くなってきました。

あれって、
焼かずに食べたら、
そんなに美味しくないですよね?
焼いて食べる方が美味しいですよね?

そんなことで、
最初は美味しく感じて食べていたけど、
だんだん不味くなってきた。
それでも食べていると、
赤いウインナーが、
化学薬品のような味にしか感じなくなってきました。

それ以来、
赤いウインナーを見ると、
「赤い化学薬品」
というイメージが定着したのです。

僕は、
赤いウインナーを、
「焼かずに食べ過ぎた」のが、
嫌いになった原因かな?と思っています。

弁当に入っている、
タコさんウインナーを、
2個くらいを食べるくらいでしたら、
赤いウインナーを嫌いになっていなかったかも?
今でも普通に食べていたかも知れません。

ということは、
赤いウインナーには、
「何の罪もない」
といことです。

嫌いになった原因は、
僕が盗み食いして、
焼かずに食べ過ぎたからです。

それって、
自分が間違った事をしておいて、
勝手に嫌な思いをして、
赤いウインナーを悪者にして、
嫌いになるだなんて、
自分勝手もいいところです。

赤いウインナーが、
「僕に何をしたのでしょうか?」

赤いウインナーは、
僕に、
いつもいつも、
母の目を盗んでは、
焼かずに盗み食いされていただけではないでしょうか?

本来、
赤いウインナーは、
包丁で切れ目を入れられて、
フライパンで炒められて、
タコの形に作られて、
「ああ、タコさんだ♪」
と言って美味しく味わってもらうべきものです。

赤いウインナーには、
何の罪もないのです。


赤いウインナーを、
対人関係に置き換えて考えると、
相手を嫌いになる理由が見えてくるはずです。

相手を嫌いになる場合、
相手から一方的に、
理不尽な事をされる場合もあります。
それで嫌いになる場合もありますが、

自分が、
相手を嫌いになってしまう、
「原因を作っている」
場合も多いと思います。


僕は、
「悪ふざけが過ぎる人」
が大嫌いです。

お調子者で、
周りから笑いを取りたくて、
人を笑いものにするような事をする。

自分が目立ちたくて、
面白い事をして、
人気を集めようとする。

そのためには、
平気で他人を犠牲にするのです。

他人を笑いの道具にして、
面白可笑しくおもちゃにするのです。

他人の欠点や、
コンプレックスをネタにして、
笑を取ろうとする。
そんな人間を見ていると、
殺してやりたくなるのです。
それ程の怒りが込み上がって来る。

医療現場で、
ものを言えぬ老人に対して、
老人をからかって、
笑の道具にするような人を見ると、
この世も末だなって思うのです。

僕は、
そういう光景を、
日常活の中でよく目にするのです。

当然、
老人をからかうような人間を見ていると、
その人物に対しての偏見が生まれます。

「ああ、あの人は非人道的な人だ」
というイメージが定着します。

非人道的な人だという目で見ます。
そういう人だと思って接します。
関わりを持とうとしたく無くなります。

僕は、
相手に対して、
そういった態度が出ているでしょうね。

僕の態度を見た、
その老人を笑いの道具にする人は、
「ああ、高瀬さんに嫌われているのかな?」
と感じるかも知れません。

感じたならば、
僕の事を良いようには思いませんよね。
自分を嫌っている相手を、
好きになろうとは思いませんから。

そういうことで、
僕が老人を笑いの道具にする人間に、
「お前が嫌いだ!」という思いを、
発信しているから、
老人を笑いの道具にする人間に、
僕の思いが伝わって、
相手が僕の事を気に食わなく思う。

そして、
僕に対しても、
悪ふざけをして来る。
僕をからかってくるのでしょう。

こういった原因があって、
人が人を嫌いになるのかも知れません。

赤いウインナーと違う点は、
赤いウインナーには、
何の罪もないところです。

老人を笑いの道具にする人間は、
罪があると思うのです。


僕が、
赤いウインナーを嫌いになったのは、
僕に責任がありました。
赤ウインナーが、
僕に対して、
何か悪い事をしたかというと、
何もしていません。

盗み食いして、食べ過ぎた、
僕が一方的に悪いのです。

そして、
老人を笑いの道具にする人間を見て、
僕が勝手に、
「あの人は非人道的な人」
だと決めつけた、
僕が一方的に悪いのです。

いくら、
相手に罪があろうと、
僕は人を嫌いになって、
相手を非人道的な人だと決めつける行為は、
罪なのかなって。

もっともっと、
掘り下げて行くと、
笑いの道具にする人間に、
笑いの道具にされる老人は、
何で?
笑いの道具にされるのだろうか?

笑いの道具にされる、
「原因」
があるのかも知れません。

無いかも知れません。

ただ、
非人道的な人が、
自分勝手に、
老人を笑いの道具にしているだけかもしれません。

一方的な被害者かも知れません。

酷な言い方をすると、
笑いの道具にされる老人が、
言い返せない人だから、
文句を言えない人だから、

非人道的な人に、
おもちゃにされるのかも知れません。

ゴキブリは、
残飯などあるから寄って来ます。

非人道的な人に、
からかわれたり、
隙があるから付けこまれるのかも知れません。

厳しい言い方ですが、
自分に、
そういった隙があるから、
非人道的な人に付け込まれるのかも知れません。

良い事も、
悪い事を引き寄せるのも自分という事です。

自分が発信するから、
相手が受信して反応するのです。

自分が、
相手に石を投げつけるから、
相手は「何すんねん!」と怒るのです。

自分も同じでしょ?
相手が石を投げて来たら、
「何すんねん!」
と怒るでしょ?

自分自身が、
道徳的な生き方をしていると、
やたら滅多に、
人から誹謗中傷されることは少ないです。

人からバカにされるのは、
日頃から、
自分の言動がバカなのでしょう。

普段から賢い言動をしていれば、
周りからは尊敬されているはずです。

もし、
自分が他人か嫌われていたとしたら、
自分の言動を改めた方が良いです。

多分、
自分が他人に不快な事を、
発信しているはずです。

僕はね、
老人を笑いの道具にするような人を見て、
殺してやろうかなって、
それくらい腹が立ったりしていましたが、
それは間違いだなって思いました。

老人を笑いの道具にする人間には、
笑いものにする理由もあるでしょうし、
笑いものにされる老人にも、
原因があるのだろと思うからです。

他人事なんです。

僕には関係の無い事なのです。

他人事に、
口を挟む僕の方こそ、
無神経で無責任なのです。

ということで、
僕は、
何事も自分発信なのだと気が付きました。

自分さえ、
道徳的な生き方をしていれば、
間違いは起きないのだと。

道徳的な事を、
発信して生きて行けば、
道徳的な事しか帰って来ないと思う。

人を大切にしたら、
人から大切にされると思う。

人を愛したら、
人から愛されると思う。

何事も、
自分発信なのだなって。


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