「守るもの」がなければ「強く」なれる。

人は、
守るものがあるから我慢が出来たり、
強くなれる場合があります。

その逆も然り。

守るものさえなければ、
人は強くなれることがあります。


僕は、
通院先の病院で、
言いたいことが言えません。

不快に思った事を、
僕が相手に対して言うと、
通院しづらくなるからです。

不快なことをされて、
不快なことを言われて、
僕は不愉快な気持ちになる。

しかし、それは、
僕が相手の言動に対して、
不快に感じるだけで、
相手は僕に対して、
思いやりを込めた言動だったのかも知れません。

相手の言動を感じた僕の、
「捉え方」なのです。

僕の捉え方が、
世間の意識とズレていた場合や、
相手の本意とズレて受け取った場合は、
僕は相手の思いやりを台無しにしてしまう事になる。

だから、
極力、
不快な気持ちになっても、
言いたいことを言わないでいた方が賢明です。

そして、
医療機関ということで、
僕がクレームを付ける事で、
次回の通院日から、
僕は院内でクレーマーと呼ばれることになるのです。

もし仮に、
僕に落度が無くて、
相手の医療従事者に不手際があった場合、
僕が医療従事者に注意すると、
医療従事者は同僚たちに、
「あの患者はクレーマーだ!」
と吹聴するでしょう。

そうなると、
通院日に、
病室の空気が重たくなります。

僕はそれを最近、
まざまざと体験しました。

明日の通院日にも、
かなりの冷たい空気を感じる事でしょう。


というのも、
通院先の病院で、
僕はストレスを受けていました。

それは、
僕の性格上の問題で、
他の人達には大した問題ではないですが、
僕にとっては大きな問題です。

僕の捉え方、
受け取りからが問題で、
ストレスと感じてしまう。

そのストレスを受け入れるスペースが、
僕の心にはもうありません。

ストレスを感じたら、
もう、
我慢せずに言いたいことを言っている自分がいます。

相手は、
悪気があって言っている訳ではない事でも、
僕には屁理屈にしか聴こえなくなっている。

そこまで心が荒んでいます。

例えば、
「今日は良い天気ですね」
と言われると、
「良い天気なのに、
病院へ通院しているって惨めだね」

そんな風に言われていると、
悪い方に解釈してしまうのです。

心に余裕がなくなると、
そうなってしまうのでしょうかね。

それは、
僕の「甘え」なのでしょうね。

甘えているという言葉を使いたがる人からすると、
僕の心が荒んでしまうことも、
甘えでしかないのでしょうね。


僕は、
弱っている人に向けて、
「お前は甘えているだけだ!」
と言える人のような、
強い精神力を持ち合わせていません。

その、
強靭な精神力をお持ちだからこそ、
人に対して、
「甘えるな!」
という人は、
他人に甘えることなどしないのでしょうね。

どんなに辛い事があっても、
他人に頼らず、
自分で道を切り開いて、
甘えないで困難に立ち向かえるのでしょうね。

だからこそ、
他人に、「甘えてるんだ!」と言えるのでしょうね。

それがね、
他人に、
「お前は甘えている!」
と吠えておいて、
いざ自分はどうなのか?
と言うと、
仕事が忙しいとい言い訳をしては、
患者に渡す血液検査の伝票を、
3か月もほったらかしにする。

仕事が忙しいと言うのは、
言い訳であって、
血液検査の伝票を渡すのも仕事だ。

血液検査の結果伝票というのは、
患者にとって大切なデータです。

その検査結果を見ながら、
食事の制限を加減したりするものです。

そんな大切な書類を、
すぐに患者に渡さず、
3か月も放置するのです。

それは、
仕事が忙しいという事を言い訳にして、
「言い訳」を利用して、
「甘えている」だけではないのでしょうか?

自分は、
仕事がルーズなくせに、
他人には厳しい言葉を発するのです。

とても自己中心的で、
無神経極まりないです。

そういった無神経な医療従事者に、
これからは堂々と、
僕は言いたい事を言います。

間違った事、
不快に感じたことで、
その不快な思いが、
僕の思い込みではなくて、
理不尽な問題だったとしたら、
僕は堂々と相手を責めます。

それを我慢してきたから、
僕の心が荒んだのです。

僕が、
ルーズな医療従事者に、
注意をしたとします。

それを見た、
他の医療従事者が、
僕との接し方を変えたならば、
僕は、
その医療従事者を、
ルーズな医療従事者と同じ人間だと判断するでしょう。

まして、
ルーズな医療従事者の、
肩を持つような医療従事者も、
同類だと判断するでしょう。

そんな人間を、
僕は信用もしませんし、
人として軽蔑しますね。

100%、
医療従事者に落ち度があって、
患者から注意を受けても、
それを反省もしないで、
患者をクレーマー扱いするだなんて、
人として許せませんね。

人とは思いたくないですね。


僕は先日から、
言いたいことを言っている。

こうして、
僕のブログにも書いています。

僕がこうして、
ブログに、
病院で会った出来事を書くのは、
病院の医療従事者が、
僕のブログを読んでいるからです。

だから書くのです。

病院では、
言いたいことを全て、
伝える事が難しいです。

感情的になってもいけませんし。

それで、
僕の言いたいことをブログに書いている。
読んでもらうために。

そして、
もし、
反論があるならば、
僕にメールや、
読者メッセージを送って頂こうと思っている。

ブログのコメント欄は使いません。
コメント欄を荒らす輩がいますので、
相手をするのが面倒なので使いません。

医療従事者が、
僕に対して、
異議申し立てをしたい場合には、
僕にメールを下されば良い。

ブログ内の、
カテゴリの下をスクロールすると、
「読者にメッセージを送る」
があります。

また、
僕の使い捨てのメールアドレスも貼り付けてあります。

どちらを利用されても構いません。

文章で対話した方が、
僕としては都合が良いです。
いえ、
お互い、都合が良いと思います。

文章ですと、
「証拠が残ります」からね。

言った、言わない、
の水掛け論などしなくて済むからです。

言いたいことを、
冷静に文章にまとめて、
相手に伝えられるのです。

言葉ですと、
感情的になると、
余計な言葉が出てしまいます。

そういったことで、
僕のブログを読んで、
「俺の事か?」
と思ったならば、
それで不愉快に思うならば、
メールなどを下されば対話します。

僕の言いたいことは、
大体の事は、
ブログに書いてあります。

遡って読んで下されば、
なぜ?
僕がその医療従事者を嫌いになったのか?
理由が書いてありますので。

あくまでも、
僕の心が荒んで、
心にストレスが溜まり過ぎて、
相手の言葉を、
誤解して解釈してしまっている場合もあります。

そうでない場合もあります。

相手が、
僕に対して、
不快な言動を悪意を持ってしたとしても、
それを相手が、
「悪意はない」
と言えばそれまで。

人の心の中なんて覗けませんからね。

水掛け論になるしかないのです。

そんな事ではなくて、
事実、
ルーズな仕事をされて迷惑しているだとか、
実影響がある問題に対して、
言いたいことを言っていこうと思う。

血液検査の結果伝票を、
さっさと仕事を済ませて持ってこい!と。
3か月もほったらかすな!と。

ルーズな仕事をするなら、
担当者を変えろ!と。

本当に、
血液検査の結果伝票を整理する、
担当者を変えて欲しいです。

こちらは、
食生活を調整するのに、
必死になって努力しているのですからね。


こうやって、
言いたいことを言って、
次回の通院日は、
かなり病室の空気が冷たくなるでしょう。

でも、
それで良いのです。

僕を冷ややかに見る医療従事者なんて、
たかがそれだけの人達。

正論を訴えて、
注意して、
反省もせずに、
逆恨みをして、
患者を無視して、
患者をクレーマーに仕立て上げる人間に、
「こびを売る必要」なんてないのです。

1度、
その冷ややかな空気を感じると、
「開き直れます」
心が強くなれました。

僕は、
病室では仲間もいない。
たった1人で、
多くの医療従事者から無視される。

でも、
僕には守るものがない。

今までは、
医療従事者に文句を言うと、
クレーマー扱いされて、
通院がしにくくなる。

「普通に通院したい」ことを、
守ってしまうと、
我慢しなければならない。

守るものがあると、
我慢するしかない。

でも、
医療従事者に媚びたりしないという、
強い心があれば、
守るものが無くなるのです。

強い心を養うには、
「勇気」が必要です。

その勇気を、
養えるのが「怒り」です。

怒りの感情が、
背中を押してくれて、
勇気が芽生えます。

怒る時に怒らないと、
自分の感情のコントロールが出来なくなります。

感情とは、
自分の身を守るツールでもあるのです。

人とのコミュニケーションツールです。

怒りを表すと、
相手が悟って、
悔い改めるばあいもありますし。


あなたは、
何を守って?
我慢していますか?
その守るものは、
本当に大切なものですか?


僕が守っていたものは、
意気地なしな性格を、
ひた隠しにしていた事。

言いたいことを言えない、
気の弱い自分を恥じていて、
それを認めるのが嫌だった。

それがバレないために、
我慢し続けて来た。


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