嫌いな人間は、やっぱり嫌い。

僕には嫌いな人間がいる。

無神経で、
講釈が多い薄らハゲです。

何故、
その薄らハゲが嫌いになったのでしょうか?
僕が、
薄らハゲが嫌いになった理由があるでしょう。
薄らハゲと出会った時まで、
遡って考えてみた。

僕は大きな病気を発症しました。
慢性腎不全です。
そして人工透析に通うことになりました。

僕は人生の中で、
何度も挫折してきました。
何度も人生に絶望してきました。

事故で歩けない体になり、
病気になって、
その動かない両足を切断したり、
人工透析を受けることにもなった。

これはすべて、
自業自得です。

誰の責任でもなく、
己の招いた種です。

何だか情けなくてね。

人口透析自体は、
延命するための治療なので、
仕方がない事です。

しかし、
僕にとって「注射」は恐怖です。
先端恐怖症とでもいのでしょうか。
注射を見ただけで、
脂汗が出てきます。
貧血を起こして倒れる事もありました。

それは、
幼い時に、
針を使ってイジメに合っていたことも、
影響するかも知れません。

子供の頃に、
体に針を刺されて、
イジメを受けていたのです。

針を見ると、
僕は恐ろしいのです。


慢性腎不全になって、
恐怖と闘いながら人工透析を受けます。

その当時、
家族とは折り合いが付かずに、
ギクシャクした生活でした。

病気になって苦しかったです。

家族に、
この苦しい思いを相談も出来ませんでした。

しかし、
心が一杯一杯になって来て、
家族に相談しました。

しかし、
家族は僕の話を聞いてくれません。
話を聞くのが「面倒」だったのでしょう。
僕が、
嫌な事があって愚痴っているだけだと、
そう思ったのでしょう。

僕は、
自分の力では、
もう何も出来ずに無力でした。

それで、
家族に助けてもらいたかった。
それが、
「甘え」なのだったら、
僕は家族に甘えたかったのです。

僕はね、
他人から「甘えている」と言われても、
それを認めます。

だって、
僕は家族に甘えようとしていることを、
自覚していますから。

自覚しているというより、
「甘えたいのです」よ。

自分では、
どうにもならないから。

家族に協力してもらって、
引っ越しするだの、
自宅の中を、
車イスで生活しやすいように改造してもらうだとか、
そういう要望を、
家族にお願いしたいのです。

僕は家族に甘えたいのです。

そういった、
家族に届かない気持ちを抱えて通院していました。

通院先の病院で、
つい、
そういった愚痴を男性スタッフに話しました。
愚痴が出てしまいました。
愚痴が溢れ出てしまいました。

すると、
男性スタッフが言いました。

「それは甘えている」

と。

僕は、
その言葉を聞いた瞬間、
目の前の薄らハゲに殺意が芽生えました。

その時に、
僕はその薄らハゲを嫌いになったのでしょうね。

薄らハゲは、
僕を励まそうとして、
「甘えている」
という言葉を使ったのかも知れません。

また、
僕の愚痴を聞くのが面倒だから、
「甘えている」
という言葉を使って、
「自分の事は自分でしなはれよ!」
と愚痴を聞かされるのを拒んだのかも知れません。

真意は僕には解りません。

薄らハゲの真意は僕には解りませんが、
面倒だから甘えているという言葉を使って、
僕の愚痴を聞くのを拒んだという、
そういう薄らハゲの気持ちは伝わって来ました。

薄らハゲは、
自分の自慢話が大好きな人。
他人の話は一切スルーするような人。
他人の相談を聴くときもある。
でもそれは、
他人の相談を聴いてあげている俺って、
「カッコイイやろ!」
という理由で相談を聴く。
お調子者で、
自分が目立っていれば満足な人ですから。

僕が、
愚痴をこぼしたとき、
薄らハゲは、
「高瀬さんに、
甘えているんだ!と言うと、
心が弱っている高瀬さんに、
キツイ言葉だけれど、
激を飛ばしているあの人って、
とても素晴らしい人だ!」
と周りのスタッフに思われたいから、
甘えているんだと言ったのかも知れません。

僕の不幸を利用して、
自分が周りから、
「何て素敵な人なんだ!」
と称賛されたかったのかも知れません。


そんな薄らハゲと、
3年以上もの付き合いをしてきた。

薄らハゲを見ると、
いつも殺してやりたいと思っていた。

それをガマンする。

心に憎悪が蓄積される。

心に、
憎悪を溜めるスペースが無くなって来る。

そうすると、
薄らハゲを見ただけで、
虫唾が走る。
イライラする。

だから、
薄らハゲを見ないように心がけた。

しかし、
いくら見ないようにしていても、
向こうは仕事だ。
こっちに来る。

こっちに来ると、
心が震える。
プルプルする。

怒りを抑えるから。

それで思った。
あの薄らハゲを越させなければ良いと。

ある時、
鬼の形相で薄らハゲを見ました。

アピールしました。
「こっちに来るな」と。

そうすると、
僕を「ちゃかし」に来るのです。

「あれ、高瀬さん、
俺を嫌っているのかな?」
「ちょっと茶化してやるか」

そんな感じで茶化してきます。

僕が文句を言わないのを良い事に。

しかし、
僕の心のスペースはもうありません。

茶化しに来た薄らハゲに、
ついに文句を言いました。

すると、
薄らハゲは確信したようです。
「俺、嫌われている」と。

何でしょうか、
人を嫌い事に、
罪悪感があります。

人を嫌えば、
自分もまた、
人から嫌われますから。

出来る事なら、
嫌いになったりしない方が良いでしょう。

それで、
嫌いな薄らハゲを、
嫌いと思わないように、
努力したこともある。

しかし、
薄らハゲが、
隣のベッドの老人をからかって、
遊んでいるのを見ると、
やはり、
殺してやりたくなるのです。

心に憎悪が加算されるのです。


僕は、
薄らハゲを認めたくても、
認めれない心の小さな人間。

そんな事を考えていると、
益々、
自分の人間性を疑ってしまう。

そして、
色んな自己啓発書を読み漁る。

人としての心を取り戻そうと。

そして、
時に、
人からの優しさを感じる事もある。

看護師さんから、
心のこもったケアをして頂くと、
心に蓄積された憎悪が、
だるま落としのように、
1段目が飛んでいく。

優しさを感じた僕は、
心に溜まった憎悪を、
どんどん弾き飛ばす。

弾いていると、
そこへ薄らハゲが通りがかる。

弾いた心の憎悪が、
薄らハゲに当たって、
跳ね返って、
僕の心に憎悪が戻って来る。

カウンターを喰らった僕は、
病室のベッドの上で気絶するのです。


そんな事で、
嫌いな薄らハゲを、
好きにはなれないのです。

嫌いな物は嫌い。

「嫌いな物を嫌いで良いじゃん。」
そう思うと、
少し心が楽になる。

僕は、
赤いウインナーが大嫌いです。

それで、
他人に迷惑を掛けるだろうか?

僕が、
赤いウインナーを、
好きにならないといけない理由があるでしょうか?

赤いウインナーを、
食べないといけない法律でもあるのでしょうか?

赤いウインナーを、
嫌いだと言うと、
社会的なモラルに反するのだろうか?

赤いウインナーが嫌いだと、
薄情な人間なのだろうか?

好き嫌いでいうところで、
僕が、
あの薄らハゲを嫌いな事は、
赤いウインナーを嫌いなのと、
同じ理屈です。

だったら、
堂々と、
嫌いで良いじゃないかって。


ただ、
薄らハゲを見ると、
憎悪を溜める事がもう不可能なので、
薄らハゲを見たら、
口から文句が出るでしょう。

文句を言うと、
僕は、
病院へ通院しずらくなる。

だから、
文句を言わないように我慢しようとする。

我慢しようとすると、
ストレスが溜まる。

もうね、
そんなことの繰り返しで嫌気がさしています。

それで思ったのです。

もう、
転院したらいいやん?って。

だから今、
転院を考えています。

転院した病院でも、
人間関係で苦労しそうですが、

今の状況を打破するには、
転院するのが手っ取り早いかなって。

それで、
もし、
転院が出来なかったら???

他の方法を考えてみます。

取りあえず、
アクションを起こしてみます。

もう、
心には、
憎悪を溜めるスペースがありませんので、
とても攻撃的な人格になっています。

おかしなことを言われたりされたりしたら、
直球で物申すでしょう。

その当時の、
リミッターを解除した、
88年式のNSR250RSPのような感じ。


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