不健康な「肉体」と健康な「心」

慢性腎不全になってしまったけれど、
「俺はこんなに頑張っているんだぞ!」
と、
社会にアピールしていた自分が無様に思える。


若い頃に交通事故で、
脊髄を損傷し下半身の自由を失ってしまい、

また、
動かない両足を、
床ずれという病気の影響で切断していて、

それでいて、
人工透析まで受けている。

三重苦のような苦しみです。

それだけではなくて、
幻肢痛という神経痛もありますし、
車イスを使わないと生活が出来ませんし。


そういった、
自分の置かれた環境・状態を、
ブログに綴っていました。

建前上は、
「僕のような状態の人が、
同じような病気になった時に、
少しでも役に立てたら・・・」

といった偽善を装って、
ブログを書いていたような気がします。

何とも無様な事でしょうかね。

本音で言うと、
「俺はこんなに色んな障害を抱えていても、
必死に今を生きてるんだぞ!」
と社会へアピールしていたんです。

病気になった原因は、
「自堕落な生活をしてきたからです」
とは言うものの、

本心は、
俺がこの病気になったのは、
「自堕落な生活をしていたからではないぞ!」
と訴えていたのです。


自分の病気についてのブログを書いてきて、
何だかバカバカしくなってきました。


自分の病気の事を書いても、
他人には何の関係もないんですから。

「ああ、かわいそうに」
くらいで終わりです。

世間から「かわいそうに」と、
哀れんで欲しいのですが、

いざ、
「ああ、かわいそうに」
と哀れまれると腹が立つんですよね。


自分がブログで、
「必死に生きてんだぞ!」
と世間に訴えても、
世間には何ら関係ない事です。


というよりも、
逆に、
世間から言われるでしょう。

「お前以上に努力している人はたくさんいるぞ!」と。

「お前以上に不自由な環境の人はたくさんいるぞ!」と。


というよりも、
自分の置かれた、

状態を、
環境を、

不幸だと決めつけているのは誰ですか???

自分が、
自分を「不幸」だと決めつけているんじゃないですか?


僕は思う。

人の幸せって、

自分がどこから来て?
どこへ行くのか?

その答えを持っている人こそが、
幸せなのっだと思うのです。


その答えを持っている人は、
たとえ、
どのような環境で暮らそうとも、
心に平安があるようです。

死後への希望があるようです。


そもそも、
人が、
「死んだら終わり」
という定説があるから、
人が人生を迷走するのだと思います。


人類は、
なぜ?
この世に誕生して、

この世を去ったら、
どこへ行ってしまうのか?

人生の軸となる物を持っておきたいです。

僕の軸となっているものが、
「聖書」です。


僕は、
健康な体で生活をしていたならば、
聖書にふれる機会が無かったかも知れません。

あったとしても、
自分の力で生きて行こうとしていたでしょう。


ぼくは、
健康な体でなくなってしまいましたが、

心は、
健康になったようです。


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