思いやりという言葉の「ウソ」

日本には、
日本独特の「文化」というか「風習」があるようです。

本音を隠して、
建前で相手に角が立たないよう配慮する。
そして、
思いやりの精神があったりする。

それが日本の「美徳意識」だったりする。

安倍晋三さんが言っていましたよね、
「美しい日本!」と。


これから書くことは、
違った角度から人間の心の中を覗いたこと、
本心を曝け出した事を書いてみます。


例え話ですが、
友達から趣味を一緒にしないか?
と誘われたとします。

僕は建前を使って、
相手への思いやりを持って答えます。

「今、時間が無くてね、ごめんね。」


こういった返答をします。


しかし、
僕の本心は、時間がないのではなくて、
「その趣味に興味がない」のです。

もし、友達が勧めてくれた趣味に、
興味があったなら食いつくはずです。

興味がないから、
当たり障りのない言葉で返答をするのです。


しかし、
友達が、
そういった言葉の裏側や、
言葉の行間を読めない人だったなら、

「そっか、時間を作ってよ!」

と食い下がって来るかも知れません。


そういう事にならないためにも、
「僕は興味ないな、ごめんね。」
と、ハッキリ断るのが思いやりかも知れません。



自分が、
相手に対して思いやりを持って、
角が立たないように断っているようですが、
実は、
「自分を思いやっている」だけなんです。


友達が誘ってくれたのに、
興味がないからと断ると、
「これからは友達から誘われなくなるかも?」
といった不安があるんです。

せっかく誘ってくれたのに、
断ると、
友達が怒ってしまう・・・。



だから、
自分を守るために、
「時間がない」と「ウソ」を付くんです。

時間がないというのは、
思いやりでも何でもない、
「ウソ」なんです。

自分が嫌われたくないための「ウソ」です。



言葉って、
そういう風に分解してみると、
自分を擁護している言葉が多いです。


「他人の為に!」
という言葉は、まさにそれです。

「人」の「為」と書いて、

「偽り:いつわり」と読むことが出来ますから。



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