楽しめれる間に人生を楽しむ。動ける間に楽しむ。 

僕は慢性腎不全で人工透析を受けています。
今年で4年目になります。

20歳の時に、
オートバイで転倒し、
コンクリートの壁に衝突し、
脊髄を損傷して車イス生活を送って来ました。

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20歳で、
人生を棒に振ってしまったのです。
自分のやりたい事に夢中になっていたから、
悔いはなかったですが、
その後の人生は、とても辛かったです。


28年間、車イスで生活をしてきて、
仕事を頑張って来ましたし、
車イスでのスポーツにも参加してきました。
結婚し、家庭を持った時期もありました。


しかし、
人間不信になった事をきっかけに、
栄養失調になり、
下半身に床ずれがたくさん出来てしまって、
挙句の果てに、
両足を切断することになりました。

1年間の入院生活の後、
退院後は、
もう2度と、床ずれを作ってはいけない事を念頭に、
また、
人間関係から離脱するためにも、
引きこもり生活を選択しました。

自分から、
「引きこもり生活をしよう」
と決めて、実行しました。



引きこもり生活をしていて、
10年が経ったとき、
慢性腎不全という病気で、
緊急入院することになりました。

自動的に、
人工透析が始まりました。



今、週に3回、
通院をしています。


人間関係に疲れて、
社会から離脱した僕が、
週に3回も、
人間関係を持たないといけないのです。



もう、4年目ですから、
少しは人間関係に慣れてきたはずなのですが、
どうやら、まだダメっぽいです。



自己啓発本を読んで、
自分の意識を変えたり、
本を読んで学んだことを実践するも、
空回りすることが多い。

何だかね。


おまけに、
10数年間も引きこもり生活をしてきた人間が、
「恋をする」
のですから。


その恋は、
僕の片想いで、
相手には届きません。

というか、
僕の好意が相手に届いたら、
相手が僕に背を向けるのです。

それが、
僕の好意への答えでしょうね。



挨拶も交わしてくれない。
顔も合わせて貰えない。
僕を避けているようです。


そんなことで、
さらに、
人間関係に嫌気がさしていました。



何でしょうか、
告白したつもりもないし、
どうになかる恋だとも、
思ってもいませんし、
それが、
僕の全てを拒否されているかのように感じる。


あからさまに、
僕が近くを通る時に、
顔を背けたり、
背を向けたりされると辛い。


何か、
迷惑をかけているように感じてしまう。



好意を持った事が、
迷惑ならば、
もう2度と、
あなたには好意を持ちませんし。



それが、
答えなのだろうから。



だから、
これからもずっと、
僕の事を避け続けてくれたら良いでしょう。
僕も、
その方が助かるから。

僕自身も、
もう、
挨拶をしませんし、
顔を合わさないようにしますので。
迷惑だろうから。




そんなことで、
少し、
心がやさぐれていた時期もありました。

今は、
心を取り戻しつつあります。


週に3回の通院は、
死ぬまで続くことです。

人工透析を受けないと、
死んでしまうからです。



死んだら、
もう、人工透析を受けないで済む。

人工透析を受けないと死んじゃう。



病院で、周りを見ると、
お年寄りばかり。

毎年、
顔なじみの方が亡くなって行く。



あれ?
最近、あの人の顔を見ないな??
と思った時は、
もうこの世にはいないことも。




僕は、車イスで生活をしています。
まだ、自力で車イスに乗り移りが出来ます。



これがね、
通院先の年老いた方々を見ていると、
自力で車イスに乗れずに、
介抱してもらって、
老人ホームと病院を行き来するお年寄りもいる。


僕はまさに、そのパターンになるでしょう。


そして、
その行き先も検討が付く。



僕が後どれくらいで?
車イスに、自力で乗り移りできなくなるか?
解りません。

僕は、脊髄損傷ということで、
「乳首の辺り」から下が、
感覚がありません。

お腹を触っても、
感覚がないのです。

お腹を包丁で刺されても、
痛みを感じないんです。

当然、
「腹筋がきかない」のです。



ベッドから起き上がる時、
両腕で、
ベッドの縁を掴んで、体を起こします。

かなり力が必要です。

体が重いと、
起き上がることが困難になるでしょうね。


だから、
僕は太れないのです。
体重が軽ければ、
軽い方が助かるのです。

そういった事でも、
食生活を意識しているのです。



僕は、
さほど、長生きをしたいとは思いません。

死んだ後、
死んだ後の世界の方に魅力があるからです。


死んだ後は、
もう、
この世で感じる苦しみが、
もう無いのだと希望を持っているから。



その、
死後の世界への希望があるから、
今、
どんなに辛い事があっても、
「もう少しの辛抱だ」
と諦めがつくのです。


言い換えたら、
僕に、
死後の世界への希望がなかったなら、
僕なんて生きる意味がないでしょう。


サッサと死んで、
この世から消えた方がマシだと思う。



しかし、
死後の世界というのがあるのならば、
それに賭けてみたい。
それにすがってみたい。



そんなことで、
もし、
自力で車イスに乗れなくなったら、
障害者施設に入所して、
病院と施設を往復する人生がやって来る。

そうなると、
自由もプライバシーもへったくれもない。


サッサと、
この世を去りたいと思うだろう。



ということで、
今はまだ、自力で車イスに乗って、
電車に乗って、
色んな街に出歩いたり出来ている。


あと、
何年?
この生活が続けられるだろうか?


僕には予測がつかない。


明日、
突然、心不全で死んでいるかも知れませんしね。

車イスで街を散歩していて、
溝にはまって死んでいるかも知れませんし。


僕は、
死後の世界があることを信じている。
聖書を信じている。

聖書に書かれている事が、
真実であると、信じているから、
今、こうして希望を持って生きていられるのかも。


人間が、
何の目的もなく、
ただ、
偶然に進化して生き物になったとすると、

死後の世界なんて、
ないものだったとすると、

僕のような障害を持ってしまって、
病気になってしまった者など、
「損だよね?」



でも、
僕には、死後の希望がある。

今は「損」かも知れませんが、
その、「損」をしたお陰で、
死後の世界を発見できたことは、


僕にとっては、
「運が良かった」のかも知れません。



神様からの、

「恵み」

という賜物を頂けたのだから。





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