日曜日なので。

慢性腎不全で人工透析を受けています。
病気を発症して3年目となります。

病気になってしまったことで、
自分の人生を「思い知らされた」ところもあって、
良かった面も、悪かった面もありました。

そして今、
通院生活が3年目となって、病気にも慣れましたし、
通院生活にもなれましたし、
気持ちの余裕が出来たと思います。

趣味に生きている感じです。(o^―^o)ニコ

興味のあるものに出会えば、すぐに実践します。
知識がなくても、即実践です。

実践して得た体験が知識となるからです。
僕の場合はね。

病気になって、
いろいろ考えることもありました。
人生を投げやりになっているのではないですが、
「あきらめがついた」のかも知れません。

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過去の栄光にすがりついていた自分がいて、
過去の栄光への執着が重すぎて、
前に進めなかったような気がします。

健康な体で20年、生きてきました。
そして、20歳のときに体が不自由になりました。

不自由な体で20年、生きてきました。

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健康な体で、
不自由な体で、
両方の体で生きてきた体験をしました。

そして、
病気という病気もなく生きてきて、
慢性腎不全という病気になってしまいました。

病気になった理由は、
生活習慣が乱れていたからです。
間違いないです。
病院嫌いでしたし。

病気になって、しんどかったです。
不自由な体になったのも、しんどいです。


普通の人が、普通に一生を暮らすとき、
普通に暮らしていれば、普通に生きれたと思う。(笑)
普通な人生だっただろうと思います。



僕の場合、
・貧しい暮らしも経験し、
・贅沢な暮らしも経験し、
・家族と暮らす生活も経験し、
・母子家庭も経験し、
・健康な体でも生活してきたし、
・不自由な体でも生活をしてきたし、
・大きな病気にもなってしまったし、
・人生のどん底を、最低、7回は経験してきた。



「普通の暮らしをしていた方が、僕には良かったのかな?」
と考えて見ると、
僕は、普通ではダメだったようです。


普通に生きるより、
こういった波乱万丈的な人生の方が、
僕には合っていたと思います。

こういった人生が、
僕に合っているから、今もこうして、
のんきに暮らせているのだと思うのです。(笑)


いろんな経験をしてきました。

人生の、社会の、
いろんな裏表を覗かせてもらいました。

それで、
僕の人生の「意味」が見えてきたのですから。

僕がこの世に生まれてきて、この世から去ります。

・何の目的のための人生なのか?
・死んだらどうなるのか?



こういった、
「人間の最大のテーマ」
を考えることができたのです。



行きつく所、そこなんです。

若い頃から、「死」について恐怖を抱いていました。
もし、今、死んだらどうなるんだろ?


誰も居ない宇宙の暗闇に、
1人でさまようのかな?

恐ろしくて恐ろしくて。
死ぬのが怖かったです。

死ぬのが怖いからこそ、
反対に、自分から死を求めていたのかも知れません。


若い頃に、何度か人生のどん底を味わいました。
生きているのが空しくて。

そんな時に、オートバイに出会いました。
オートバイで、山道で公道レースをしました。

転倒したら、命を落とす?
そんなリスクのあるような場所で走っていました。

「怖い」と思ったら走れません。

死ぬ気で走らなければ、速く走れません。

なぜ?
死が怖いのに、死ぬ気で走れたか?
矛盾があるのですが、

峠を走って、
その峠で「1番速いヤツ」・「峠のキング」になりたかったのです。


そういう、栄光を求めていたのです。
それと同時に、
栄光を求めることで、死ぬ気で頑張れる。
普通に死ぬのは怖いけど、
何かに必死に取り組んでいると、
死が怖くなくなったりします。


だから、死ぬのが怖いから、
死ぬ気で頑張れることをして、
頑張ることで、
「死を恐れないように誤魔化して」いたのかも。

本当は、死にたかったのかも。


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人は、何時かは死ぬ。

死を待っていると、
恐ろしくて恐ろしくて、どうしようもない。

「なら、こっちから死んでやればどうだ!?」
みたいな。
何かに熱中することで、
「死を恐れなくて死ねるなら、こりゃ幸いだ!」って。


若い頃から、
そんな事を考えて生きて来たように思います。

で、
結局、いろんな人生経験をしてきて、
解ったことが、
「この世は、神さまによって創造された世界」
だということです。

僕が、そう理解しただけで、
他の方々の思想と同じではないでしょう。

聖書との出会いが、
僕の人生の答えを教えてくれました。


そういったことで、
健康な体であっても、
不自由な体であっても、
どんな体であっても、
病気であっても、
どんな生活環境であっても、
どんな人生であっても、

結局のところ、人は死にます。
生まれてきて、必ず死にます。



聖書には、
人がなぜ、
この世に誕生したのか?その理由が書いてあります。

そして、
人がなぜ、
死ななければならなくなったのか?その理由が書いてあります。

死後、
どのような世界がまっているのか?
今後の世界で、どのような事が起きるか?
予言も書かれています。


こういった、
「人はどこから来て、どこへ行くのか」
その、
「人生の答え」
を確立しているか?いないかで?

心の空しさが、加減されるのかなって。



僕が、
この人生で「諦めた」のは、

「自分がどこから来て、どこへ向かっているのか?」
知らなかった時に、
その答えを作ろうと頑張ってきた。


人生の答えを作ろうと、
頑張ってきた事を、
「諦めた」のです。


人生の答えは、遥か昔から啓示されていました。


自分が、自分の力でこの世に来たのではない。

歴史は、宇宙の創造から今現在まで、
「続いている」んです。

歴史って、過去の事ですが、
今も継続しているのです。

それを、認めたのです。

自分で人生の答えを作ることを、
「諦めた」から、人生が楽になったように思います。


今、慢性腎不全になって、
心身共に、ボロボロになりました。

ノイローゼにもなって、自殺も考えました。

毎日、人を呪って生きていました。

自分の心の中の「憎悪」を、
思う存分、吐き出したと思います。

今思えば、
自分はあんなに憎悪を抱く人間なのだと、驚きます。(笑)


人生で、いろんな経験をして、
最後には、大きな病気になってしまいました。

こればかりはもう、お手上げ。

自分で努力したくても、もう、これ以上は無理。

諦めて、
聖書に書かれている事を、認めて、
死後の希望を持つことにしたんです。

言い換えれば、
死後、用意されてある世界へ行くための、
人生のような感覚です。

本当の人生は、死後にあるような感じです。

今の、この世の中は、終っているようです。

死後、
用意されてある、新しい世界こそが、
人間の生きる世界のようです。

その世界に行くための「切符」が聖書かなって。


僕は、そう理解しています。


宗教を押し付けるつもりはありません。

個人的な主観で書いた記事です。(o^―^o)ニコ




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