受け入れるとは?

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受け入れるって?

作者:高瀬浩司


一昨日からずっと、気持ちが滅入っていました。
人間関係で嫌な出来事があって、
腹の虫が治まらずに悶々していたのでした。

しかし、昨日、
心に溜まったヘドロのようなものを全て、
ブログに書いて吐き出してみました。
するとどうでしょうか、
今朝は心が軽かったのです。

相手に言えないで、反論できないで、
ずっと自分の責任だと思って我慢してきた。
自分が我慢すれば「こと」は解決するんだと思い込ませていました。
しかし、僕の心のキャパにも限界があったようです。

もう、我慢できない状態まで膨れ上がっていたのでしょう。
ついに心が張り裂けました。
張り裂けた勢いで、心に溜まったヘドロが溢れるように出て行きました。

好きな相手の全てを「受け入れる」ことが、愛だと思っていました。
しかし、嫌な事も悲しいことも残酷な事も、
全てを自分が受け入れると、やがて心が満タンになります。
満タンになると、受け入れて上げれるスペースも無くなる。
まして、
残酷な事ばかりを受け入れすぎると、
自分の心が病んでしまう。

幸い、僕は心が病む寸前で、
心のブレーカーが落ちました。
他人から受け入れたものを、心に溜めた込んだものを、
全て吐き出せました。
心のスペースを空けることが出来ました。
心が軽いです。

心のブレーカーとは、
心が張り裂ける事です。
心が張り裂けて、爆発して、心を閉ざすことです。

心を閉ざすことで、
それ以上の「負の供給」を遮断するんです。

ドライヤーを使いながら、
洗濯機を回し、電子レンジで調理もする。
そうすると、電化製品を使いすぎて、
電線がショートして火事になる危険性がある。
そのために「ブレーカー」が落ちてくれるんです。
ブレーカーが落ちなければ、大惨事を引き起こすこともある。

心が張り裂けて、心を閉ざすことが、
社会的にはマイナス的なイメージかも知れませんが、
僕は良い事だと思うのです。
ブレーカーが落ちる現象と同じように、
心を閉ざさないと、もっと危険な状態になると思うからです。

それで、心に余裕が戻って来たならば、
心のブレーカーを上げれば良いだけのことだと思うのです。

僕は、心がダメになる寸前で、心が張り裂けてくれました。
怒りが爆発してくれました。
その勢いで、心に溜まったヘドロをブログに書きだして吐き出した。
そして、心を軽くできました。

昨日と今日で、
こんなにも心の変化を感じれるのかと、驚いています。
どれだけ我慢してきたんだろうかと、
自分を労えるほどです。
自分がかわいそうで、仕方がないです。
よく我慢してたねと、自分を褒めてあげました。

時に人は、「受け入れる」という言葉を使いたがる。
大きなケガをしたときにも、同じセリフを何度も言われた。
歩けない身体になって、車イスを使って生活をする時にも、
「ケガを受け入れて!」と何度、言われたことだろうか。

受け入れるも何も、
これが現実で、受け入れても受け入れなくても、
現実は変わらないんです。
いまさら何を受け入れるっていうのだろうか。
世間の人は、その、
「現実を受け入れるのだよ」
というだろう。

でも僕は言いたい。
「受け入れろ」と言われる前に、「もう体感していますからと。

言われる前に、もう、歩けない身体だと、
身体が知っていますから。

「世間の人は、車イスに乗っている僕のTシャツに、
さらに障害者用のステッカーを貼ろうとする。」

「あなたは障害者だということを自覚して生きて行きなさいよ!」
と念押しするんです。
受け入れろという言葉を使って。

でもね、
障害者だとか、健常者だとかいって、
人を区分けして、それを受け入れさせて、
何がしたいの?

それを受け入れさせないのが、
「バリアフリー」ってことじゃないの?
バリアフリーって、スロープを付けるだけの事じゃないでしょ?

「俺は障害者だ、障害者らしく生きよう!」
そう思わせたいから、現実を受け入れろと言うんでしょ?

現実を受け入れろと言いながら、
「バリアフリー」を謳うんだもの。
世間の人が、何がしたいのか分かりません。


僕の主観ですが、
受け入れるという言葉が苦手です。

大きな病気になった時も、
「病気を受け入れて」と言われました。
でも、未だに受け入れていません。
受け入れないでも、病気という現実は変わりません。
受け入れたとしても、受け入れなくても、
病気という現実は変わらないんです。

それを何故?
受け入れろというのか?です。

それは、日本人特有の「美徳」だとか「美意識」だと思う。

日本人は、美意識が高い民族とも言われます。
「努力」だとか、「謙遜」だとか、
美しい言葉を重んじます。

そういった類のことばで、
「病気を受け入れる」
といった言葉が、その精神が、
美しく思うから「使いたい」だけなんです。

言葉の中身なんてどうでも良いんです。
「美しい言葉を使うとカッコイイ」
のですよ。

病人に、
「病気を受け入れて!」
と勇気を与えている自分って、カッコイイ!と。

でもね、
そんな言葉を使われた患者側の人間は、
悲惨だよね。
そんな呪いのことばに、一生、呪縛されるのですからね。

僕は、大きなケガをしたとき、
「現実を受け入れて!」と言われた。
でも、受け入れませんでした。

ただ、車イスを使って普通に生活を始めた。
それだけだ。

大きな病気を発症した時も言われた。
「病気を受け入れて!」と。
でも、受け入れませんでした。

ただ、治療をするために病院へ通い始めた。
それだけだ。

病気だと解っているのに、
更に、病気だという事を受け入れろって?
意味が解らない。

病気なんだから、普通に病院へ行けばいいだけだろ?
違うの?
何を受け入れるの?
「病気なんだよ!あなたは病気なんだよ!受け入れて!」
そんなことさ、あんたに言われなくても知っていますよ。

病人に必要なのは、現実を受け入れることでもなくて、
まず、心を軽くしてあげる事でしょ?
病人に、
「重荷を背負わせてどうする?」

病気になったら、家族の生活のこと、
金銭的な事、
いろんな悩みが湧き上がってきます。
そんな不安を抱えて治療する。

そして言われる。
毎日毎日、
「病気を受け入れて!」と。
何かの拷問を受けているのか?

病気を受け入れさせるのではなくて、
「病気と上手に付き合って行く方法」
を教えるのが医療従事者の役目でしょ。

患者は、自分が病気だという事は百も承知。
これから先、どのように暮らして行けばいいのか不安です。
そのアドバイスが出来れば、不安を解消してあげれたら、
患者は病気と上手に付き合って生きて行けると思う。

美意識的な言葉を使って、
「病気を受け入れて!」ってな、
患者を、残酷な呪いの言葉で呪縛して、
「患者に勇気を与えた私は素敵な人間」
というような自己満足するのはやめて欲しい。


話が大きく反れましたが、
受け入れ過ぎると、溜め込んで、心が重くなります。

嫌な事も、悲しいことも、全て一人で背負ったしまうと、
自分だけが苦しくなります。

まして、受け入れなくてもい言葉まで受け入れちゃうと、
変な呪いの呪縛から解放されなくなりますから。

僕のように、溜め込んでしまう方は、
どんどん「怒りを爆発させてください」。
その怒りが、発端となって、
「勇気が湧きます」から。

怒りってきくと、
イメージが悪く思われがちですが、
怒りのお陰で、勇気が湧いて、物事に打ち勝つことも出来ます。
そういう時もあるんです。
怒りが、心の引き金を引いてくれるときもあるのです。

そして、怒って、心の憎悪を吐き出すんです。

僕は、ブログに書いて、憎悪を吐き出すのが習慣です。
心が楽になります。
話を聴いてくれる親友もいませんからね。
セルフコントロールみたいな感じです。

心って、嬉しい事、悲しい事、
いろんな感情を溜め込む倉庫じゃないと思う。

感じる部分だと思う。

感じる部分に、いろんな感情を溜め込むから、
相手の心が感じれなくなると思う。

溜め込むのではなくて、
その時その時、相手と言いたいことを言い合って、
「伝える」ことが大切だと思う。

嫌な事を伝えないといけないこともある。
でも、それをしないと、相手にも自分にも、
良いことがないこともある。

僕は、言えなかったこと、
ずっと我慢してきた事を吐き出した。

心が軽いです。












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