持病について




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持病について



作者:高瀬浩司


今日も通院日でした。
週に3回、人工透析を受けています。
治療の内容は、4時間、ベッドの上で寝ているだけです。
機械を使って、血液をキレイにします。

見た目は大変そうで、恐ろしく見えますが、
2年も続けていると慣れました。
生活の一部になっています。

慢性腎不全は「治らない病気」と言われています。
なので、今ではもう諦めています。
病気を発症したころは、
「治らない病気だろうけど、治してやるぞ!」
と意気込んでいましたが、ムリっぽかったので止めました。

諦めて、
病気に慣れる、
通院生活に慣れる、
人工透析を中心とした生活にすることで、
ストレスも減ってきました。

普通の生活をしながら、
病院に通っておられる患者さんも多いと思います。
それはそれは、大変、体も疲れると思います。
僕にはとてもマネが出来ません。


20歳の時に、オートバイで事故を起こし、
下半身の自由が奪われ、車イスを使う生活になりました。
その頃は、まだ「元気」がありました。
足が動かないだけで、上半身は丈夫でした。
仕事をしながら車イステニスをやったり、
自動車の運転が好きでしたから、よく走りに行きましたし。
魚釣りにも行きましたし。
出来る事は、積極的にしていました。

それが、
精神的に落ち込むことがあり、
栄養失調になり、
両足に床ずれがたくさんできてしまって、
両足を切断しました。

両足を切断してからは、
下半身の感覚が麻痺しているにもかかわらず、
また、両足も無いのに神経痛に悩まされました。
「幻肢痛」というものです。

それ以来、10数年間、自宅で引きおこもる生活が始まりました。
引きこもり生活中も、
インターネットを利用して、いろんな人達とコミュニケーションを取って来た。
楽しかったし、嫌な目にもあった。


隠居生活みたく、
静かに生きていたのでしたが、
日に日に、体が重くなりしんどくなった来ました。
息が出来なくなって、自分で救急車を呼びました。

緊急入院し、慢性腎不全と告知されました。
人生で、医師から何度?死を宣告されたことだろうか。
それでも、こうして生きているから不思議です。(笑)


というか、慢性腎不全の中毒症状で、
心臓が停止しましたし。
本当に死にましたし。(笑)

中毒症状で、幻覚を見ていましたし、
幻聴を聴いていました。
胸の鼓動が激しくなってきて、
体が跳ね上がっていました。
何とかナースコールを押せた。

看護士さんが見えたけど、声が出ない。
息も出来ない。
苦しくて苦しくて。

もう、これで終わりだと思いました。
そして、僕が最後に心で思った事が、
「仕方がないな。」
でした。

仕方がないなと思って、目を閉じました。
すると、部屋の明かりを、プチンと消して、
真っ暗になったような感覚になりました。

心臓が停止したようでした。

幸い、病院でしたし目の前に看護師さんが居たので、
蘇生して頂けたようで。
僕は、なかなか死ねないようになっているようですね。

それで思った事ですが、
今の医療技術のお陰で、人工透析が受けれて延命出来ます。
人工透析が無い時代の人々が、慢性腎不全で亡くなるとき、
中毒症状を引き起こして窒息死していたのだと思うと、
とても悲しいです。
実際、僕は窒息死を体験しましたから。

窒息死を体験してからは、
僕は水中に顔を浸けることが出来ません。
息を止めると、あのときの窒息死を思い出して、
恐ろしくなるからです。

こうして助かった命です。
僕には何か?生かされている「使命」があるのかも知れないですね。
こうして、こんな記事を書いているのも、
何かの意思によって書いているのかも知れないですね。
自分にはわからない事ですが、
誰かの役に立っているのかも知れません。


ということで、
これからは、病気についても書いて行こうかなと思っています。

僕としては、
歩けない身体になったけど、
歩けない身体に合わせた生活をしてきた。
両足を失ってからは、もう床ずれを作らない生活を送って来た。
そうしたら、今度は腎臓がポンコツになってしまった。
正直言って、通院は辛いです。
体がしんどいんです。

両足を切断してありませんし、
背骨を骨折していて、下半身の感覚も麻痺していますから、
便意も尿意もわかりませんし。
何をするにも、ベッドの上でしか出来ませんし。
車イス乗ると、床ずれが悪化しますから、長い時間、乗れませんし。

僕は47歳です。
この生活が後何年続くのだろうか?
それを考えたら、しんどいです。
生きたくても生きれない方々には申し訳ない。

だが、人生の答えも手に入れて、
何の目的が有って僕はこの世に存在したのかも知り、
死後、どのような世界が用意されているのかをも知っている?
そういった希望も持っている人間にとって、
長い余生は辛い。

早く楽になりたいと思うのが正直な気持ちです。
十分、人生を歩いてきたので。
満足していますし。


人は、人それぞれに与えられた自由な意思があると思います。
霊として生まれ、
霊が肉体を操作して生きている。
肉体が朽ちて土にかえり、霊は元の世界に帰る。

僕はいつになったら?
霊の世界へ戻れるのだろうか。
待ち遠しいです。



人には人の生き方があると思う。

自由な意思があると思う。

だから、他人の生きざまに僕は何も言わない。


その人が、たとえ酷い死に方をしようが、

僕は何も言わない。

それを選んだのは、その人なのだから。


どんな死に方をしようが、どんな生き方をしようが、

その人の自由意志だから。

その人の人生だから。


その人が、人生を通して「学ぶこと」があるのだろうから。


この世の未練が、全て無くなったわけではない。
唯一の未練だったのが、好きな女性への恋心でした。
その恋心も、もう消えそうですが。

通院先の病院で、
お年寄りの患者さんを見ると、自分の将来がそこにある。
あんな手洗い看護を受けるのか・・・
だとか、
手間がかかるから、体にチューブを入れられたり、
痛いことをされるんだろうな・・・・
そんな未来をいつも目の当たりにしていると、
やっぱりしんどいね。

だからこそ、
僕は、愛する人を探していたのかも知れません。
自分を守ってくれる女性を探していたのかも。
年を取った僕を愛してくれて、
僕のケアをしてくれる女性が欲しかったのでしょう。
死ぬまで、僕の面倒を見てくれる女性を、
死ぬまで愛し合える女性を求めていたのでしょうね。

それが、通院先の看護師さんであったのですね。
看護師さんの容姿も、好みのタイプだったし、
凄く責任感のある女性ですし、
人工透析も出来るし、看護も出来る。
僕にとっては、まさに天使です。
だから、好きになったのでしょう。
僕を守ってくれるだろうと思えたんです。

でも、
僕の恋は、片想いでしたし、
その看護師さんから避けられています。
情けないし辛いです。
早く好きだったことを忘れないとね。


最近は、
好きな事を遠慮なくやっています。
誰の目を気にすることも無く、やっています。
我慢することを止めました。

自分の感情のままに行動しています。
少し楽になりました。
人目を気にせず、自由に生きれてきたようです。

今まで、
「こんな僕を好きになってくれる人なんていないだろ」
と思っていましたが、
考え方を変えてみようと思う。
「こんな僕を好きになってくれる人が居たら素敵だな」
と思うようにしたいです。

そして、自分に正直になろうと思います。
やせ我慢をしてきました。
それを止めます。

僕は、僕を守ってくれる女性が欲しいです。
愛し合いたいです。
もちろん、オッパイも触りたいです。(笑)

正直に、欲しいものをねだってみます。
神様に。

これから先の余生についても、
僕が今、まだ死ねないのは、
この世で何か使命が残っている?のだろうと思うようにします。
その使命が終わったら、僕の役目が終わると。

今、生きて行くうえで必要な物は、
よくよく考えたら、ちゃんと「与えられて」います。
当たり前のように生活をしていますが、
ちゃんと生活が出来ているんです。
それだけでも奇跡に近いのに。
それらに気付かず生きていました。

ちゃんと与えて、備えてくださるのですから、
もし、願ったなら?
与えて貰えないはずがないでしょう。
だったら、
自分に正直になる。
「これこれを与えてください!」
とお願いします。

僕の願いは、
僕を死ぬまで守ってくれる女性を与えて欲しいです。
愛し合いたいです。
お互いが死んで、死後の世界でも一緒に居れる、
そんな女性を与えて欲しい。

僕の願いをどうか叶えてください。
神様、おねがいします。


本音を書いてみました。


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